PR: チャージのいらない電子マネー、QUICPay
ONE-shot 97 フライングラン
この直通運転開始により、東横線・みなとみらい線から副都心線を経て
東武東上線、西武池袋線までが一本の列車で結ばれることになり、
利便性や速達性が向上されるのはもちろんのこと、
実に五社もの車両が入り乱れて走る、鉄にとっては楽しい状態となります。(^^)
先週からは何と、その貸し出された車両が営業運転に就き始めたとのこと。
直通開始前に他社の貸し出し車両が
趣味系のHPやブログでそのニュースを知ったときは、もうビックリ。
副都心線・西武直通運用で確認されている東急5050系4000番台の4104Fと、
東横線で運用されているメトロ10000系10104Fの
とはいえ、直通運転が開始されればこの光景は日常的なものになって、
西武池袋線を走る東急車の姿などイヤというほど見ることができるハズ。
ここで注目すべきは東急側。
直通運転は、地下にある現・副都心線の渋谷駅を介して行われる事になり、
地上(高架)にある現・東横線渋谷駅は、直通開始と共にお役御免となる予定。
つまり現・東横線渋谷駅にメトロ10000系が乗り入れるシーンは
今のフライングラン期間でしか見ることができないのです。
そこで、このちょっと面白い状態を記録しておこうと、
情報を聞きつけた数人の同業者と待っていると、
お馴染みの頭端式ホームに
スイスⅤ01・・・とりあえず、ジュネーヴ散策記
ちょっと鮮度落ちですが・・・
先週の月曜日(17日)は敬老の日の祝日で、土日とあわせると三連休。秋の行楽シーズンに連休ともなれば、やはりどこか旅に出たくなるもの。いつもは鈍行列車で、ちまちまとセコイ旅に出ている私ですが、なんとこの連休はどーんと海外旅行なぞへと出かけてみることにしました(゚∀゚)! 果たして、その行き先はというと・・・?
スーツケースをひきーの・・・
(イメージです私のではありません)
NEXに乗りーのの・・・
ヒコーキで飛びーののの・・・
機内食を食べーのののの・・・
機窓から山々や湖を眺めーののののの・・・
あれ?この景色は・・・σ(・・;) ン?
10時間以上もかけてやってきた、目的地最寄の空港。
気がつけば手にあるのは、見慣れたフリーチケット・・・
も、もしや、ここは・・・(゚ロ゚;) ハッ!!
・
・
・
・
・
はい、じゅね~ぶ。
・・・スミマセン、連休を利用しての旅行とは真っ赤な偽り。このブログに長くお付き合いいただいている方ならもうお解りでしょうが、はるばるスイス・ジュネーヴまでやってきたのは、今回ももちろん仕事です。(´д`;)アウ...
2012.09.16~09.23 スイスⅤ 01
とりあえず・・・ジュネーヴの近況報告記
9月16日(日)
NRT1025-(LX161)-ZRH1550
ZRH1655-(LX2808)-GVA1740
Geneve-Aeroport 1805-(ICN541)-Geneve 1812
と、いうわけで、今年二度目のスイス出張。6月に来た前回はジュネーヴのホテルがどこも満室で、仕方なくイヴェルドン(Yverdon-les-Bains)という郊外の小都市に滞在しましたが、今回は無事にジュネーヴ市内のホテルを取る事ができました。やはり勝手知ったる街に滞在できるのは安心感があります。しかしジュネーヴはこのブログでも過去に何度か紹介しているので、ネタ的には乏しいんですよね・・・。ジュネーヴに滞在するのは昨年7月以来、約一年ぶり。そうそう変化があるとは思えないけれど、とりあえず鉄なので、今回も駅などを中心に少し散策してみる事にします。
ジュネーヴの玄関口にあたる、
スイス国鉄(SBB)のコルナヴァン駅は改良工事の真っ最中。
もうここ5年くらい工事が続いているけれど、
一体いつ完了するのやら・・・(^^;)
12.9.16 スイス国鉄 ジュネーヴ
スイス最大の駅・チューリッヒ中央駅ほど多くはないけれど、
ここジュネーブにも何本かの国際列車が発着します。
パリ行きTGV(左)とミラノ行きのECが並ぶ時は
いちばん華やかなシーンかもしれません。
12.9.16 スイス国鉄 ジュネーヴ
動力分散式、いわゆる「電車」の台頭で、
ここスイスでも数を減らしつつある機関車牽引の客車列車ですが、
ラッシュ時間帯にはまだ多くの列車を見る事ができました。
上はおなじみのRe420が牽引するRE(RegioExpress=快速)、
下はRe460が後押しするIC(InterCity=特急)。
日曜日の夕方、駅のあちらこちらでは、
別れを惜しむ親子の姿がありました・・・。
詳しくは解らないのですが、
親元を離れて全寮制の学校などで学ぶ子供たちかな?
中には泣きじゃくっているコもいたりして、
ちょっと切ない気持ちになります。。。(;ω;`)
続いては街中を走るトラムを。
白と紺色のツートンカラーがジュネーヴ市電の基本色。
連接式低床車(上)が主流になりつつありますが、
下の旧型(っていうほど古くないけどね)もまだまだ多く見かけます。
12.9.16 ジュネーヴ市電 上・Cornavin付近/下・Bel-Air付近
今回のジュネーヴで私が気づいた唯一の鉄的な変化と言えば、
この新型トラムの運行開始。
(突然現れたので、こんな写真しか撮れませんでした・・・。)
新型車の導入目的は、既存の旧型を置き換えるというより
路線延長に伴う車両増備と言った感じで、
ジュネーヴ市電は現在でも路線の拡張を続けています。
12.9.16 ジュネーヴ市電 Cornavin付近
ジュネーヴのシンボル、
レマン湖の大噴水「じぇっどー (Jet d'Eau)」は
この日も元気にそびえ立っていました。(^▽^)
仕事のスケジュールが本格始動すると散策などへ出る余裕ができるか解らないので、ちょっとムリをして到着初日早々、ホテルチェックイン後に駅や街へと繰り出しました。すでに時刻は午後6時過ぎになっていたものの欧州は日が長くてまだ明るく、街歩きや写真を撮るには問題ありません。でも季節はもうすっかり秋で、湖畔の風が頬に当たると冷たく感じました。
この季節に欧州へ来たならば、ぜひ食べておきたいのが、
キノコの王様・ポルチーニ茸。
自然発生の旬は秋で、まさに欧州のマツタケといったところ。
まずは初日、「ポルチーニのピザ」というメニューをチョイス。
ん~・・・たしかにポルチーニの香りはいいけれど、
本当にメニュー通りポルチーニしか載っていないのね。。。(^^;)
味的、色的にルッコラなど散らして欲しかったところ。
☆☆・・・
翌日はメインではなくアペタイザーで
ポルチーニのポタージュを選んでみました。
とても濃厚で、鼻から口からポルチーニの香りを満喫。
体も温まって、とても美味しかったです (^^)V
☆☆☆☆・
さらに四日目はメインで、
もうそのままポルチーニ(他、数種のキノコ)のバターソテーを。
素材の味が生きて、味、香りともに大満足!
でも、キノコがメインディッシュって、ちょっと寂しいかも・・・。
(とくにこの日ご一緒した方がチョイスしたメインが、
肉厚なステーキだったので・・・^^;)
☆☆☆・・
今回の出張は一週間(7泊8日・うち一泊は機中泊)で、ジュネーヴに三泊、もう一カ所の都市(同じくスイス)に三泊の行程。次回はその後半に滞在した都市の方をご紹介します。
・・・続きます。
PR: デザイナーの求人情報・転職支援はマスメディアン
スイスⅤ02・・・ヌシャテル・古城からの鉄道撮影記
仕事で訪れているスイス。前回からの続きです。
前回のラストにも書きましたが今回の出張は一週間の行程で、前半の三日はジュネーヴに、そして後半の三日は「ヌシャテル(Neuchatel)」という街に滞在する事になりました。4日目の朝にジュネーヴからヌシャテルへと列車で移動します。
ジュネーヴからヌシャテルへ
乗る列車はジュネーヴとチューリッヒの大都市間を結ぶ
スイスの主要特急「ICN(InterCity-Neigezug)」。
12.9.19 スイス国鉄 ジュネーヴ
ジュネーヴを出てから約一時間、
車窓にはスイス最大の湖、ヌシャテル湖が広がります。
(ちなみに湖の面積は前回紹介したジュネーブのレマン湖の方が
広いのですが、レマン湖は半分がフランスにまたがるため、
スイス固有の湖ではヌシャテル湖が最大となります)
12.9.19 スイス国鉄 Gorgier-St-Aubin(車窓から)
ヌシャテル湖に面した街、ヌシャテル(ヌーシャテルとも呼ばれます)は、スイス北西部のフランス国境近くに位置するヌシャテル州の州都で、時計などの精密機械産業が盛んな中規模都市。「新しい城」を意味する地名そのままに、丘の上には10世紀末に建てられた古城がそびえ立ち、城のまわりに広がる旧市街では今でも随所に中世の面影を感じることができます。すり鉢状の街に黄土色の建物が多く並ぶ事から、こちらでは「バターをくりぬいた」ような美しい街だと形容されるそうですが・・・欧州人の感覚は、よーわかりません(くりぬいたバターが美しい?? ^^;)。
ヌシャテルの街に列車が入ると、
本来は車窓右手にヌシャテルのシンボルであるヌシャテル城が
見えるはずなのですが・・・今回はタイミング悪く
貨物列車にカブられて、車窓からのお城が撮れませんでした。。。
(ここまで来て、このカブり運の悪さときたら・・・(>ω<、) )
なので、これは二年前に列車で通った時に撮ったものです。
このときお城や教会は修復工事中でしたが、今回は・・・?
10.9.27 スイス国鉄 ヌシャテル付近(車窓から)
「バターをくりぬいた」ような(?)
美しいヌシャテルの街並みが、車窓からも見る事ができます。
10.9.27 スイス国鉄 ヌシャテル付近(車窓から)
そんなヌシャテル。私は過去に何度か仕事で訪れたり、他の街や都市へ行く際に列車やクルマで通過して、このブログの「スイス紀行」にもちょくちょくその名が出てきていたのですが、今まで宿泊して滞在した事は無く、じっくりと街中を見る余裕もありませんでした。しかし今回は初めて、しかも三泊もするという事で、少しは街の魅力にふれる事ができそうです。
ジュネーヴから乗ったICNは順調に走り、一時間強でヌシャテル着。
Geneve0814-(ICN519)-Neuchatel0922
立派な石造りのSBBヌシャテル駅。
構内にはスーパーやカフェ・バーなどが併設されています。
12.9.20 スイス国鉄 ヌシャテル
高台にあるヌシャテルの駅前からはヌシャテル湖が一望できます。
晴れて条件のいい日には、湖越しにアルプスの山々が見える事も。
鉄としてはまず街へ出る前に、ヌシャテル駅を発着する列車たちから紹介したいと思います(なお、ここからの写真は時系列順ではなく滞在中の三日間に撮った写真を流れに沿って紹介します。撮影した日や時間帯によって天気や明るさが異なりますが、気にしないでください・・・^^;)。
街の玄関口となるヌシャテル駅は、6月に紹介したイヴェルドン・レ・バン駅同様にジュネーヴとチューリッヒを結ぶSBB(スイス国鉄)のメイン路線上にある主要駅のひとつですが、ジュネーヴから東に約100キロ、チューリッヒから西に約150キロ、ベルンから北へ約50キロ(ともに直線距離)に位置するスイス北西部の交通の要所で、イヴェルドン以上に賑やかな列車の顔ぶれが並びます。ヌシャテル駅を発着するのはSBBのメイン路線の他に、フランス国境の街・ラ・ショードフォン(La Chaux-de-Fonds)方面へSBBの支線が。スイスの首都・ベルン(Bern)方面へ大手私鉄のBLSが。さらにこの地域を走る中小私鉄のヌシャテル地域交通(TRN)が二路線、ヌシャテルを起点に山側のフルリエ(Fleurier)と湖側のフリブール(Fribourg)方面へそれぞれ伸びています。とはいうものの、SBBのメイン路線以外はどれもそれほど本数が多いわけではなく、駅構内は列車の発着が集中する時間帯以外はまったりとした空気が流れています。
ヌシャテル駅を象徴するような私鉄同士の並び。
左はフリブール行きのTRN、右はベルン行きのBLS。
BLSの客車列車、先頭に立つのはSBBから譲渡されたRe420。
BLSも最近は電車が増えてきたので、客車列車は貴重かも。
12.9.20 スイス国鉄 ヌシャテル
んで、こちらが客車ではないBLSの新型電車。
なんだかドラゴンボールの「セル」っぽい・・・^^;
この電車、基本は連接構造の4両編成なのですが、
ベルンではこれを4編成も繋いだ16連などという
東京近郊区間真っ青な列車もはあるそうで、
なんと同時期にスイスを訪れていたソネブロ仲間の
undoさんが16連の列車をゲットされています。
12.9.19 スイス国鉄 ヌシャテル
こちらはフルリエへ向かうTRNの電車ですが、
今回の滞在中には時間帯があわずに巡り会えなかったので、
これも二年前に訪れたときに撮影したものです。
10.9.27 スイス国鉄 ヌシャテル
私鉄に対してSBBの旅客列車は
ジュネーヴやイヴェルドンで見かけるものと大差なくて
あまり面白味が無い・・・と思っていたところ、
ホームに入ってきた客車列車(RE)を後押ししていたのは
なんと以前紹介した「スイスの虹ガマ」(私が勝手に命名)こと、
「スイスエクスプレス」塗装機のRe420・11108号機 (゚∀゚)!!
広いスイスでたった二機のこの「ネタガマ」、
まさかこんなところのローカル運用に就いていたとは・・・。
12.9.20 スイス国鉄 ヌシャテル
今度はAe610が牽引する貨物列車がゆっくりと入ってきました。
ヌシャテルはイヴェルドンのように貨物駅が併設されてはおらず、
貨物列車は停車せずに通過してゆきます。
12.9.19 スイス国鉄 ヌシャテル
発着するそのほとんどが国内列車のヌシャテルですが、
一日に一往復だけフランス・パリとベルンを結ぶ
TGV(Lyria)がヌシャテルに停車します。
ジュネーヴで見慣れたTGVもここで見かけるとなんだか新鮮です。
12.9.22 スイス国鉄 ヌシャテル
列車の本数は多くありませんが、SBBを走る特急や貨物列車の他、個性的な私鉄の車両も数多く見られるヌシャテル駅。限られたわずかな自由時間のなかでも充実した鉄道ウォッチングを楽むことができました。続いては駅を出て街の方へ・・・って、おっともう一本、この鉄道を紹介し忘れるところでした。
ヌシャテル駅のコンコースにあるのは、駅と街を結ぶケーブルカー。
もちろんコレも立派な鉄道です。
12.9.19 スイス国鉄 ヌシャテル
このケーブルカーは高台にある駅と、湖沿いに広がる街の中心部(よりちょっと外れた位置)を結ぶ、ヌシャテル住民の重要な足です。鉄としてはこのケーブルカーに乗ってみたい衝動に駆られたのですが、辺りにキップ売り場などが見当たらず、イマイチ乗り方がよく解らない・・・。料金後払いか、もしくは無料なのかもしれないけれど、万が一降車時に「なんでキップを持っていないんだ!ヽ(`д´#)」って仏語で怒られても堪らないので、ここはケーブルカーに乗るのをやめて、歩いて街へと向かう事にしました。どうせ駅から街へは下り坂になるわけですし・・・。それに初めて散策する街ですから、のんびりと歩いてみるのもまた良しです。(^^)
急な坂道が続くヌシャテルの街。
坂の途中には16‰の勾配票が掲げられています。
鉄ならば‰(パーミル)の意味、解りますよね?
(この標識の場合、水平方向に1,000m進むと
16m上がる、または下がる勾配(坂道)を表します。)
坂道が多く、アップダウンの激しいヌシャテルの街には
路面電車は乗り入れられず、街中の公共交通機関はトロリーバスが主流。
坂道に立つ古いワイン蔵の前をゆくのは新型のトロバス。
旧型のトロバスは黄色。
個人的にはコッチの方が味があって好きかも。
背景に写る立派な建物は郵便局です。
繁華街の路地を行く新型。この色、ちょっと都バスっぽい・・・
いや、富山市バスっぽいですか? あるまーきさん、サットンさん (^^)
最近の電車同様に、VVVF音を奏でながら走り抜けてゆきます。
駅と街を結ぶ以外にもう一本、
高台の住宅地と繁華街の間にもケーブルカーがありました。
コッチの方が駅で見たものより古そうですね。
駅から坂道を下り続ける事15分ほどで、
ヌシャテル湖に出ました。
湖畔には公園や高級ホテルが建ち並びます。
静かな湖畔の遊歩道から一本入ると、
そこは賑やかな旧市街地の繁華街。
アール広場のオープンテラスでは明るいうちから
みんなビールやワインをあおっています。
もちろん私も一杯・・・□D\(゚∇゚*)カンパーイ
大か小かと聞かれ、思わず大と言ったら、
とても大きなジョッキが来てしまいました。
比較対象物が見当たらなかったのが残念です・・・。
駅から街の中心となる旧市街地へと下りてきて、まずは軽く一周。街の規模としてはジュネーヴほど大きくはないけれど、イヴェルドンよりは大きく賑やかで、以前に訪れたドイツ国境の街・シャフハウゼンに雰囲気が似ています。大学や高校など学校が多くあり、若い人の姿が目につくのもヌシャテルの特徴かも。オープンテラスでそんな事を感じながら大ジョッキのビールを飲み干し、再び散策へ歩みを進めます。今度は駅とは逆の高台を目指す事にしました。ここにあるのがヌシャテルのシンボルであるヌシャテル城(のハズ)。
時計塔の脇にある細い坂道を、
先ほどとは逆に今度は上がってゆきます。
急な坂道の連続、やはり上りはかなりキツい。
斜面にケーブルカーが運行されているのも納得です。
やがて、階段の向こうにようやく城壁らしきモノが・・・。
外壁に沿って歩いていると、
やがてなんだかスゴいところに出てきました。
うーん、これぞまさに歴史ロマン!?
*.。o゚:+(´∀`*)*.。o゚:+カンゲキ
1000年以上前の10世紀末に建てられたヌシャテル城。高々と石が積み上げられた城壁に思わず感動してしまいます。この城壁の上には城の本丸(っていうのか?)があるはずと、意気揚々と城壁を上がってみると、そこにあったのは・・・
街を見下ろす城壁の上にあったのは
12世紀に建立されたコレジアル教会。
お城なのに教会?しかも思いっきり修復中じゃん・・・orz
外は修復中でも中には入れました。
立派なパイプオルガンに、美しいステンドグラス・・・
やっぱりここは城ではなくて教会です。
あれ、教会? お城じゃないの?? 裏手の方に回ってみても、あるのは州庁舎の看板が掲げられている白壁の建物だけ・・・(・_・ ?)ハテ?。ここでフランス語の説明板が読めない私は、ヌシャテル城は現存しない城壁だけのいわゆる城趾で、その城趾に後からこの教会が建てられたのだ・・・と、勝手に思い込み、教会だけを見物するに留まってしまいました。ところが日本に帰ってから調べてみると、教会の裏手(本当はそっちが表)にあった白亜の建物こそがヌシャテル城そのもので、現在は城の一部を庁舎として使っているのだそうな・・・。おかげでヌシャテルのシンボルであるヌシャテル城の写真を取り損ねると言う大失態をしてしまいました・・・(´д`;)。
これがwikiさんから拝借したヌシャテル城の全容です・・・。
でも、実はこの高台のお城へと上がってきたのには、城見物以外にもう一つの理由がありました。それはもちろん鉄道の撮影。冒頭でも紹介したように、列車の車窓からこのヌシャテル城がキレイに見えたという事は(カブられたケド)、逆にこの城からはSBBのメイン路線を走る列車がスッキリと見えるハズ。城壁の上から見渡してみると・・・お、線路と架線柱を発見!
斜面に立ち並ぶヌシャテルの家々を横目に
ジュネーヴへ向けて走り抜けるRABDe500形のICN。
12.9.20 スイス国鉄 ヌシャテル付近
さっそく城壁の上からICNを撮影。・・・でも、思ったほど抜けがよくないし、何よりも絵的にあまり面白くありません。考えてみたら湖とは反対側の斜面に線路は引かれているので、湖を一緒に写し込めるワケではなく、さらにこの斜面に立っている住宅地は旧市街のような趣のある建物が少ない。これではあまりヌシャテルらしさが出ませんね・・・。そこで今度は少し移動して、今いるこの城壁を一緒に写し込んで撮影してみる事に。
城壁の向こうを走るのは、TRNのRABe523形。
中世初期の城壁と21世紀生まれの新型電車、
時を越えたコラボです。(^^)
12.9.20 スイス国鉄 ヌシャテル付近
ちょ~っと列車が小さく、コラボというにはムリがあるけれど、なんとか列車と城壁を絡ませる事ができました。もっと列車を目立たせたいところですが、城壁をこれ以上カットしちゃうと単なる石壁にしか見えなくなっちゃうので、このくらいが適度・・・かな? ちなみにこの線路は先ほどのICNが走っていたSBBメイン路線と同じ線路なのですが、分岐点まではフルリエへ向かうTRNも共用で使用しています。
試しに今度はタテ位置で構えていると、
Re420が牽引する貨物列車がやってきました。
赤いカマは風景に映えるかと思ったのですが、
それほど・・・というか、全然目立ちませんね (^^;)
再びヨコ位置に戻して、ICN重連の連結面を。
やはり白い列車の方が、小さくても存在感があります。
最後にもう一枚、城壁の上からSBBのローカルを。
このお城はヌシャテルを代表する観光地ですが、平日はとても静か。
ましてやここから鉄道を撮っている者など皆無です。
城壁の上から湖方向を見ると、この素晴らしい眺め。
コッチ側に線路があると背景がキレイだったんですけどね・・・。
旧市街は建物が密集していて、トロバスの姿も見えませんでした。
列車でヌシャテルを通過するたびに、この城からはどんなふうに列車が撮れるのだろうかといつも気になっていました。念願のヌシャテル城は思っていたほどスッキリと撮れる場所ではありませんでしたが、城壁の向こうを走る列車という欧州らしいカットが撮れて大満足。仕事で来ているとどうしても時間に制約があって、鉄道写真はほとんどが駅撮りばかりになりがち。そんななかで、一枚でもこういう写真が残せるとホントに嬉しいものです(^^)。
・・・続きます。
PR: ボルボ 50万円クーポンキャンペーン
スイスⅤ03・・・ヌシャテル・湖畔からの鉄道撮影記
仕事で訪れているスイス。前回からの続きです。
今回の出張で滞在したスイス北部の街、ヌシャテル(Neuchatel)。前回は街の様子と共に、スイス国鉄(SBB)や私鉄(BLS・TRN)の列車が集うヌシャテルのメインステーションを紹介しましたが、実はヌシャテルにはこのほかにもうひとつ、ヌシャテル湖の湖畔にも小さな駅があります。
湖畔の公園内に佇むのは、黄色い電車。
ここはヌシャテルの街にあるもうひとつの駅です。
ヌシャテル・プレイス・プリー (Neuchatel Place Pury) という名のこの駅は、旧市街の繁華街に程近く、SBBのメインステーションよりも地域に密着した印象を受けます。ここを発着するのが、前回紹介したトロリーバスと同様にヌシャテルの自治体が管理する交通機関「ヌーシャテル公共交通(Transports en commun de Neuchatel et environs=TN)」の軌道路線、「リットラル・ヌーシャテル線(Transports publics du Littoral Neuchatelois)」 (ヌシャテルの街は市ではなくコミューン(基礎自治体)なので、市バス・市電ではなく公共交通と訳します)。この通称・リットラル線は、ヌシャテルの中心部から郊外のボンドリィ(Boudry)へ伸びる全長わずか8.8キロの電化単線。軌間は1000ミリという狭軌のミニ路線で、トラムに毛が生えた・・・というか、スイスの鉄道一覧ではトラムや路面電車に分類されているような路線ですが、併用軌道区間(道路を走る路面電車区間)は一箇所もなく、全線に渡って専用の軌道を走ります。高規格のトラム、いわゆる「トラムトレイン」ってヤツでしょうか。また、前回にも触れたように坂道が多く、アップダウンの激しいヌシャテルの街なかには乗り入れず、平地にある湖畔のプレイス・プリー駅を発着点とし、そこでトロリーバス等への接続が図られています。
道路沿いに線路は引かれているものの、
併用軌道ではなく専用軌道を走るリットラル線の電車。
12.9.19 TN Neuchatel Evole-Neuchatel Place Pury
線名に冠されている「リットラル(Littoral)」とは仏語で「海岸・海沿い」という意味で、ここではもちろん海ではなく湖のことを指し、その名の通りヌシャテル湖の湖岸に沿って引かれているリットラル線。前回紹介したヌシャテル城からのSBBは思っていたほどいい絵にはならなかったので、今度はこの湖沿いを走るリットラル線で、少しでもスイスらしい鉄道写真を狙ってみたいと思います。
まずは湖畔の遊歩道を歩き、オーソドックスに順光側から撮影。
ちょっと雲が多めですが、気持ちのよい秋晴れのもと、
黄色い電車が湖沿いを走り抜けてゆきます。
いい場所ですが、ここで電車と湖の両方を入れようとすると
真ん中にある遊歩道が目立ちますね・・・。
12.9.20 TN Neuchatel Place Pury-Neuchatel Evole
遊歩道が目立たないようにと、今度は湖の波打ち際まで下りてみます。
ヌシャテル湖は透明度が高く、とても水がキレイ。
背景の街並みの中には、前回紹介したヌシャテル城の牢獄塔と
城壁の上にあったコレジアル教会の三角屋根が見えます。
あ、電車の顔に架線柱の影を落としちまった・・・(-_-;)
湾曲した遊歩道の突端から、今度は湖面を多めに入れて。
引き画でも黄色い電車は存在感ありますが、
これはちょっと電車が小さすぎたかな・・・?
きれいな湖とカワイイ黄色い電車、天気にも恵まれた好条件のはずなのに、どうもピリッとした写真にならない。むしろ光線状態がバリバリの順光すぎて、全体的にベタッとした感じになっちゃうのかな・・・。列車の編成写真などを撮る場合には前面とサイドに光が当たるバリ順がベストですが、風景などを入れて撮る情景写真の場合は、多少の陰影があってもいいものなのかもしれません。ならば、いっそのこと逆光側へと回ってみるか・・・。アッチイッテミヨ...(((((*。・ω・)。
線路の反対側へ回るには、こんな踏切を渡ります。
いちおう警報機は鳴りますが、遮断器はありません。
実はその踏切脇にあるのが、TNの検修車庫。
バスと電車がランダムに(?)留置されています。
12.9.20 TN Neuchatel Evole
踏切と道路を渡ってやってきた逆側。先ほどの場所がバリ順ならば当然コッチはバリ逆で、ふつうに電車を撮ってしまえば真っ黒く潰れてしまいます。でもその条件を逆手に取って生かすと、案外面白い絵が撮れるものだったりして・・・。
真っ青なヌシャテル湖をバックに、
パンタを高々と上げて走り抜ける、リットラル線の電車。
12.9.20 TN Neuchatel Place Pury-Neuchatel Evole
お!なかなかいいじゃん (゚∀゚)!! これこそまさに湖沿いを行く「リットラル」線らしいカットと言えるのではないでしょうか。どことなく江ノ電の鎌倉高校前駅近くにある海バックの踏切に似たような情景。そういえば今夏、一度は江ノ電へ撮影に行きたいと思いながら、結局行けずじまいだったんだよな・・・。
こんなふうに撮れるのならば、はじめからコッチ側から狙えばよかったのですが、実はここで列車を撮るには、とある「リスク」が伴うのです。
線路の手前にあるのは、交通量の多い道路・・・。
そう、それは前を横切るクルマ。順光側の遊歩道に対して、こちら側には線路に沿って車道があり、今撮った列車は運良くキレイに抜けてくれたものの、クルマとのカブりは紙一重。こんなところも鎌倉高校前の踏切に似ています・・・(あっちは電車と海岸の間に車道があるのだけれど)。そんなリスクもあって、順光の遊歩道側から撮りはじめたのですが、この絵を見ちゃうと、逆光側の方が断然面白い。リットラル線は上下30分ヘッドで、終点のプレイス・プリー駅に近いここは、上りの後すぐに折り返しの下りが来て、その後20分以上の待ち時間というスパン。20~30分に一本の電車が上手くクルマにカブられずに撮れるかどうかは、もう運次第と行ったところか・・・。では、5分後に来る今の折り返し電車はと言うと・・・
トレーラー側の先頭車はカブられずキレイに抜けました~。
沖の方に見えるヨットもいい感じ ヾ(´∀`*)ノ゙♪
でも、続く連結面はクルマが・・・ Σ(゚Д゚;)ナヌッ!?
そして、パンタ側の先頭車も
クルマの後部が抜けきれず・・・(´・ω・`) ショボーン
縁石の上に乗って、先ほどのアングルよりもちょっと高い位置から湖面を多めに入れて狙ったのですが、残念ながらクルマが並走してきてしまいました・・・(>_<;;)。トレーラー側の先頭車はウマく抜けてくれたのですが、やはり電車のシルエットとなると、パンタがあるモーター車側の先頭車を撮りたかったところ。次の列車は20分後・・・しかしこの時間、明るいように見えてもすでに午後5時を回っており、ちょうど帰宅ラッシュで道路が混みはじめる頃。渋滞とまではいかなくても目の前でクルマが止まることもしばしば起こり、迎えた次の列車はこんな切ない結果に。
ハイ、クルマ二台とモロカブり~・・・(。A 。)アヒャヒャヒャヒャ...
さらに5分後の折り返しも待ってみましたが、今度は大型トラックに阻まれてシャッターも切れず、大撃沈。この時点でフリータイムのタイムリミットを迎えてしまいました(6時から仕事先の方との会食が予定されていたもので・・・)。結局、逆光側に回っていちばん最初に撮ったものが、モーター車側で唯一カブりのない、ベストカットになりました。一枚撮れただけでもヨシとすべきか・・・。
ホテルへ帰る道すがら、
もう一度、湖側の遊歩道から撮影。
これが美しい街並みを誇る湖畔の街・ヌシャテルで撮る
最後の風景写真です。
この日の会食、メインディッシュは馬肉のステーキ。
アメリカやイギリスなどは馬肉を食す事に否定的な文化ですが、
スイス(特に仏語圏)は好んで馬肉を食べます。
(日本でも馬刺しや桜鍋として食べますよね)。
ちょっと興味本位から馬肉のステーキをチョイスしましたが、
味は牛と大差なく、言われなければ牛のステーキだと思うかも
(ちょっと色は赤みが強いですが・・・)。
赤ワインに合って、ふつーに美味しかったです。☆☆☆・・
デザートはチョコレートジェラート、
ビター、ホワイト、ミルクの三種盛り。
これぞチョコレート王国・スイスのデザートって感じで、
かな~り濃厚でした。☆☆☆・・
これでスイス紀行Ⅴは終了です。今年二度目、しかも三ヶ月前に行ったばかりのスイスで、なかなか新鮮な鉄道の話題は見つけにくいのが正直なところなのですが、今回はヌシャテルという初滞在の街を散策することで、古城や湖と絡めた新たな鉄道風景をお届けする事ができました。個人的にはヌシャテル城を取り損ねた事と、リットラル線の湖バックをもう少し煮詰めたかった・・・というのが、ちょっと心残り。次にこの街を訪れる機会があれば、また坂道をヒイコラいいながら城壁を目指し、湖で眩しい日差しに当たりながら、列車を眺めたいと思います。今回もお付き合いいただきましてありがとうございました。m(_ _)m
9月22日(土)
Neuchatel0827-(ICN1517)-Zurich Flughafen1020
9月22日(土)~23日(日)
ZHR1300-(LX160)-NRT0750
中央本線・・・E655系「お召し列車」撮影記
昨年11月、中央線・東京~甲府で運転されたE655系による「お召し列車」。これは恩賜林(明治天皇が水害からの復興支援のために贈った森林)が贈られて100周年になるのを記念する式典が山梨・甲府で開かれ、当初はその式典に天皇陛下がご出席する予定で仕立てられたものでした。しかし直前に陛下は体調を崩されて入院。一時はお召し列車も運転自体が危ぶまれたものの、式典にはご名代として皇太子殿下がご出席されることになり、殿下を乗せた日章旗付きのお召し列車は無事に秋晴れの中央線を快走しました。私はその様子を立川~日野にある多摩川の鉄橋で撮影し、このブログでも「ONE-Shot」として紹介したのは記憶に新しいところです。あれから一年、体調が戻られた天皇陛下は昨年に見られなかった恩賜林の視察をご希望され、それが実現。なんと昨年に続き、今年の秋も中央線の東京~甲府でお召し列車が運転されることとなりました。果たせなかった訪問先へあらためて足をお運びになるとは、律儀で本当に頭の下がる思いです。ご訪問の日取りは10月6日(土)、日帰りの行幸啓。三連休の初日ですが私は遠出をせず、もちろん今年もお召し列車撮影に参戦します。
10月6日(土)
まずは地元駅から中央線を下って八王子へ。
甲府方面(山線)への接続列車は立川か高尾のイメージが強いのですが、
この松本行き429Mは八王子始発でした。
連休初日ということで、ホームには登山などへ向かう行楽客がいっぱい。
中央本線 八王子
八王子にはお召し列車の非常時救援機として、
ピカピカに磨かれたDD51 842が待機していました。
あくまでも救援機なので、出番がないことを願います。
中央本線 八王子
そのDD51 842とE655系が組んだらどんな編成になるのか・・・それがコチラ。
07年暮れに東北本線で行われた、訓練運転での一コマです。
とくに今回のお召し運転には関係ないのですが、なかなか紹介する機会もないので、
オマケ的に載せてみました。(^^;)
07.12.25 東北本線 東大宮-蓮田
お召し列車の撮影でいつも悩むのが撮影場所。というのも、当然ながら天皇陛下がお乗りになる列車は警備も厳戒態勢が敷かれて、普段撮っているような臨時列車の撮影とはわけが違います。鉄道敷地内はもちろんのこと(これは普段でもダメですよね)、線路に近いかぶりつきの撮影地や踏切、跨線橋なども場所によってはアウト(撮影禁止)になる場合があります。その裁量はその場の警察や鉄道会社の判断によるものが大きく、一概にすべてがダメということではないけれど、撮れると思ってカメラを構えていたのに、通過直前になって警察から「ここでは撮れない」といわれて、移動を余儀なくされた・・・というのもよく聞く話。そんななか、比較的引きがあって見通しが利く多摩川橋梁などはまず間違いなく撮影が可能なポイントで、昨年は無難にここで撮影をしました。さて、今年はどこにするか・・・昨年と同じ多摩川じゃ面白くない。かといって、首都圏近郊は高架区間が多く、高尾以西は山間部を走る中央線には、東北線のヒガハスや高崎線のオカポンのような編成が解りやすい引き絵の撮れる場所が少ない。線路かぶり付きポイントは前述したように、どこがOKで、どこがアウトか解らんしなぁ・・・"o(-_-;*) ウゥム…。多摩川以外でパッと頭に思い浮かんだのは、鳥沢~猿橋にある新桂川橋梁。あそこなら撮影は大丈夫だろうし、キャパも広い。しかしそうすると私が撮ったE655系のお召しは、前回の多摩川、そして08年に常磐線で運転された際に選んだ利根川橋梁と、三回とも鉄橋での撮影ということになってしまいます。鉄橋が撮りやすいのはたしかだけれど、今回はちょっと絵を変えたい。そこで最終的に私が撮影地に選んだのは初狩。
八王子0635-(中央429M)-初狩0726
初狩はホームと駅舎の間に引込み線があるちょっと変わった駅。
昔は勾配のある本線上ではなく、この駅舎に隣接した引込み線の位置に
ホームがあり、列車はスイッチバックを経て停車していました。
旧ホーム廃止後は貨物の留置線などに活用されていたようですが、
現在は使用されていない様子。
上写真はホーム地下通路出口から見た駅舎で、
下の写真は逆に駅舎側から見たホーム。
(駅舎の外観はタイトル写真を参照)
中央本線 初狩
初狩で降りるのは、中央線201系最後の編成であるH7編成のさよなら運転を見送って以来二年ぶり。はじめはそのH7を撮った場所もお召し列車撮影の候補地として考えていたのですが、あそこは敷地外ではあるものの、線路に近い場所から正面気味に狙うことになるため、アウトになる可能性があります(実際は撮影OKだったらしい)。ここでもなるべく無難にと考えて向かったのは、駅から15分ほどのところにある高台の撮影地、いわゆる「お立ち台」ポイント。お召し列車を上から見下ろすのはちょっと気が引けますが、まあここなら撮影自体はOKでしょう。
1903年(明治36年)の開業時に作られたと思われる
狭いレンガ造りのアーチトンネルをくぐると・・・
山の中腹にあるお立ち台が見えてきます。
すでに多数の同業者が見られますが、まだ余裕はありそう。
撮影地にはお召し列車通過の三時間半前に到着。ここもキャパは広く、撮影場所は難なく確保することができました。非鉄の方ならば三時間以上も前に!? と驚かれるかもしれませんが、お召しの場所撮りとしてはこれでも遅い方で、なかには前日入りで現地マルヨ(徹夜)なんていうツワモノもいらっしゃいました。それにこのブログでもたびたび取り上げているように、休日の中央線は臨時列車が多数運転されていて、長い待ち時間もそれほど退屈しません。同じアングルばかりになりますが、ここでは時間の経過とともに現れたいくつかの列車をピックアップしてみます。
まずはEH200-20牽引のタンカー貨物。
貨物に疎い私にとっては貨物列車もじゅぶんにネタです。
中央本線 初狩-笹子 (8:46)
土曜休日運転、横浜から横浜線経由で運転される
松本行きの特急「はまかいじ」は、
中央線を走る貴重な185系の列車です。
線路脇の小道はこの撮影地へ続いていて、向かってくる同業者の姿が・・・。
(9:21)
三連休初日であるこの日は、183系大宮車による
特急「かいじ183号」が運転されました。
絵幕ではなく「特急」表示なのがちょっと残念。
(9:50)
スカ色の115系は意外と少なく、後追いしか撮れませんでした。
この列車は初狩10時05分着の536M。
(10:04)
そのかわり長野色115系はたくさんやってきます。
思いがけず長野色同士のすれ違いなんてシーンも撮れちゃいました。
房総から転属した211系が運用を開始したら、貴重になるかも?
(左・538M/右・531M 10:19)
再び国鉄色183系の登場。今度は田町車による特急「あずさ75号」。
この撮影地、10連の長い編成は全部入りきりません・・・。
(10:35)
国鉄色の4分後には上り線を「あさま色」189系が通過。
これは夜行列車「ムーンライト信州」の送り込み回送。
(10:39)
臨時列車のシメは、215系のホリデー快速「ビューやまなし」。
連休で、二階建て車両にたくさんの客が乗っていました。
(10:41)
・・・と、まあこんな感じで、まさにひっきりなし。たとえお召し列車が無くても、これだけの国鉄形やら貨物列車が撮れればけっこうオナカいっぱいで、関西から来られたという隣人は「スゲーなぁ、中央線!(°◇°;)」と、驚かれていました。ところで、時間は前後しますが、お召し列車通過の約二時間前、まるで臨時列車の合間を縫うかのように線路脇の小道に現れたのは警察の方。
撮影地へ向かって、おまわりさんキター(゚∀゚)!
(8:50)
警察と聞いて撮影地全体に緊張が・・・ということはなく、むしろ待ってました状態。やっぱりお召し列車撮影はこうでなくちゃ(´∀` )。昨年の多摩川でも警察の方はいましたが、横で警備する程度で細かいことは何もありませんでした。ところが今年は違います。撮影に対しての注意事項にはじまり、なんと一人ずつの荷物検査。さらにカメラのチェックとして、デジカメはシャッターを切り(空切り)、空切りするのがもったいないフィルムの入っている銀塩カメラに対してはレンズを外して本物のカメラ、レンズかどうかをチェック。う~ん、気合い入っているなぁ大〇警察署。この撮影地で告げられた注意事項の主なものとしては、「斜面は滑り落ちる危険があるので三脚等を立てないこと。あくまでもここは私有地であり、地主さんがいるので節度のある行動をとること。その他、警察側で危険だと感じるようなことがあればその注意に従うこと」等々。ここは比較的線路から離れているので、お召し列車に対する直接的なものはありませんでした。
地元警察による注意事項の説明。
(8:55)
さらにひとりひとりの荷物検査とカメラチェック。
(9:27)
警察による荷物チェックとはちょっと仰々しいですが、対応するおまわりさんはとても物腰が柔らかな方で、こちら側も終始笑顔。「あ、国鉄色が来たからチェックちょっと待って!」なんてことがあると、現場にも笑い声が上がります(^▽^)。でも、ここまで細かいチェックを受けるのは久しぶりのことで、私は両毛線で運転された96年のお召し列車以来かな・・・。
警察のヘリが飛び、周辺は上空からも監視されています。
(10:17)
警察のチェックを受け、前座(?)となる臨時列車もすべて通過しました。あとはいよいよ本命のお召し列車を待つばかり。天気の方は臨時列車の羅列を見ていただければ解るよいうに、晴れたり曇ったりを繰り返しています。ここは順光ポイントなので、できれば晴れてほしかったところですが、雲は抜けそうで抜けない・・・。そこへ前走りの「スーパーあずさ11号」が通過。
お召し列車直前のE351系「スーパーあずさ11号」。
これはいわゆる「露払い(本列車の通過前に線路上に
問題がないことを確認する)」になるのかな?
(11:03)
残念ながら日差しはもう期待できないものと考え、少し感度を高めに設定(ISO400)して本命の登場を待ちます。たくさんの同業者が集まったお立ち台は水を打ったような静けさとなり、ピーンと張り詰めた空気のなか固唾を呑んで線路を凝視していると、やがて日章旗を掲げた壮麗な列車が姿を現しました。
天皇、皇后両陛下を乗せたお召し列車が
初狩の町を背に中央線を走り抜けてゆきます。
これぞE655系「なごみ」の晴れ舞台!
(11:18)
特別車(E655-1)には陛下のお姿が!
高いところから失礼いたします。m(_ _)m
(トリミング済み) (11:18)
ああ、感激・・・: *:・(*´∇`*).・: *:・。結局、日は当たらなかったけれど、日章旗をはためかせたお召し列車が撮れ、さらにほんの一瞬、肉眼で天皇陛下のお姿が確認できただけでもじゅうぶんに満足のいく結果となりました。お召し列車撮影は写真の出来よりも、この緊張の中で撮影できたという達成感がいちばんの醍醐味なのではないでしょうか。何よりもここに集まった皆さんが見せた安堵の笑顔がそれを物語っているように思いました。
お召し列車の直後には緊急時の予備車であるE257系(M102)が通過。
最近はこちらを「露払い」と呼ぶ声も聞かれますが、
本来、露払いの意味は貴人を先導するものの意味であり、
横綱土俵入りなどでも先導するのが露払いの役目。
本列車の続行で走る予備車は、さしずめ「太刀持ち」といったところか?
(11:23)
初狩1153-(544M)-高尾1245
さて、冒頭でもちょこっと触れたように今回のご訪問は日帰りの行幸啓で、お召し列車は当日中に復路(甲府~東京)も運転されます。しかし甲府の発車時刻は17時半と遅く、今の時期ではすでに日没後。これでは走行写真を撮るにはかなりキビシイ。さらにお召し列車は基本的にノンストップで(今回の場合は新宿のみ一分停車だったかな?)、駅での停車シーンもほぼムリ。ふつうならここで復路はあきらめて、往路に撮った写真を肴に家で一杯やるところですが、今回の運転は何と言っても地元の中央線。家から数分のところをお召し列車が通過するのに、のんびりと酒などあおっていられるか!ヽ(#`Д´)ノ ・・・ってことで、無理は承知の上で復路の列車も狙いに行ってしまいました。とはいえ、当然ながら外はもう真っ暗。やはりふつうには撮れません。そこで目をつけたのが、中野駅北口にあるペデストリアンデッキ。ここはつい三ヶ月前にできたばかりのスペースで、実は中央快速上り線ホームと目線の高さがちょうど同じくらい。編成がきれいに入るようなところではないけれど、日章旗を掲げた先頭部くらいは何とか捕らえられそうです。いちおう通過の一時間前に着いてみるも同業者の姿はナシ。やはりこんな場所で撮る酔狂なヤツなど他に居まい・・・と思っていたら、なんと後からもう一方だけ同じ考えの方がいらっしゃいました w(°o°;)wオオ!!。先方もこんなところに同業者がいるとは・・・と、ちょっと驚かれた様子。
まずはE233系の快速で試し撮り。
でも中野に停車する快速や特快は速度が遅く、
あまり参考にはなりません。。。
中央本線 中野 (18:26)
日没後に通過するお召し列車を撮影するのはこれが初めて。やはり昼間同様に警察のチェックなどが入るものなのだろうか? しかし辺りに警察官の姿は見えない。ここは撮っちゃダメって言われるのは困るけれど、まったく来ないのも拍子抜けだなぁ・・・などと思っていた矢先、不意に背後から初老の男性に 「どうです、ここはうまく撮れそうですか?」と声をかけられました。背広姿のこの方、一見するとくたびれた課長クラスのおっさん(失礼!)なのですが、「何を撮っているのか?」とは聞かないところをみると、事情を知っている者の様子。かといってカメラは持っておらず、同業者ではない。白髪の間から出ているのはイヤホンのコード・・・そう、この方こそ私服警察官なのでありました。しかも無線で 「おい〇〇号、アカトウ(赤灯)は消して待機だろ!」などと指示しているところを見ると、かなりエライ方みたい(パトカーが目立たなかったのは赤色灯を消していたのですね。よく見ると駅前に数台が確認できました)。さえない課長から一転、まるで刑事ドラマに出てくる味のあるベテラン刑事といった感じに見えてきました・・・。その初老デカさんに、念のためここで撮っても大丈夫かと尋ねると、問題ないとのこと。さらに正確な通過時間も教えてくれました。それによると中野は19時07分通過、新宿が同13分着で、本列車はすでに八王子を定時に通過したとのこと。う~んスゴイぞ、さすが初老デカ!ヽ(*´∀`*)ノ
E257系の特急「かいじ120号」。
このくらい写し止められれば上出来なんだけど・・・。
(19:02)
19時02分、定時に「かいじ120号」が通過。高尾より手前の山線区間ではこの列車が露払いの役割を果たしているはずですが、運転本数が密集する近郊区間ではこの後にもう一本、中野19時06分発の快速電車(1806T)が入ります。定期列車のわずか一分続行で運転されるお召列車、通過列車であってもそれほど速度は出さないかな? でも新宿まで5~6分はふつうの快速電車ペースか・・・いろいろな思考がアタマの中を駆け巡るなか、1806Tが発車し、駅のホーム上では通過列車を知らせるアナウンスが鳴りました。その瞬間、緊張でアタマの中は真っ白に・・・。
日章旗をはためかせ、日暮れの中野を通過するお召し列車。
(19:07)
引き付けて、なんとかもう一枚!
日章旗ではなくサイドのJRマークに振りが合っちまった・・・。
E655系の艶やかなボディにはネオンがクッキリ(^^;)
(19:07)
残念ながら特別車のブラインドは下りていました。
(19:07)
もう、無我夢中。やみくもにカメラを振ったことしか覚えていません・・・。拡大するとブレているけれど、あのハンパ無い緊張と私のウデを考えれば、まあこんなもんではないでしょうか。特別車のブラインドが下りていて両陛下の姿は確認できませんでしたが、往路ではずっとお立ちになって手を振られていたようなので、復路はゆっくりとおくつろぎになっていただきたいですよね。これでお召し列車撮影はすべて終了です。
緊張感から開放されてふと辺りを見回すと、ゆっくりとデッキの階段を下りてゆく初老デカの背中がありました・・・。(`・ω・´)ゞオシカレサマデツタ!
PR: 大手・注目の広告・Web会社の転職はマスメディアン
秩父鉄道・・・デキ五重連!「ELパレオエクスプレス」 撮影記
東京都心からいちばん近いところを走る蒸気機関車として人気の、秩父鉄道「SLパレオエクスプレス」。しかしその主役であるSLことC58 363が8月におこした工場内での脱線により車体を損傷。復帰には少なくとも半年もの時間を要する事となってしまいました(詳細は「SLパレオエクスプレス運行中止について」のリリースを参照 *PDF注意)。そこで当面の「パレオ」は、SLの代替としてEL(電気機関車)のデキが牽引。ふだんは貨物列車を牽引しているデキが客車の「パレオ」を牽くのは珍しい事ではあるけれど、SLを期待してくる家族連れなどからしてみればデキなど面白味が無く、やはりSLの変わりとしては役不足。そもそもデキ牽引の「パレオ」はSLが検査に入った昨年にも運転されていて(列車名は「ELみつみね・ELちちぶ」)、今年は鉄の動き出しも鈍い。これから秋の行楽シーズンを迎え、書き入れ時を迎えるはずなのに・・・と、SL不在に焦った秩父鉄道。ならばデキを重連にしてみてはどうだろうかと考えた。しかし重連は昨年のイベント時にも走っていて、それほどインパクトは無い (-"-;)ウーム 。
(;´д`) んじゃ、三重連ならどうだ?
三重連か・・・うーん、もう一声~ ヽ(・ω・ )
( `Д´) よし、四重連!
デキが四重連!? コレは面白い、ノッた!ヽ(゚∀゚ )
(*`∀´)ノ ええいオマケだ、もう五重連にしちまおう!!
ご、ごじゅうれん!? w(゚□゚*)wナニーッ!!
・・・なーんて、バナナの叩き売りみたいな事があったかどうかは定かではありませんが(単なる筆者の妄想です。くだらなくてスミマセン ^^;)、連休中の10月7日には沿線の秩父で秩父夜祭に山車として登場する「笠鉾」が特別に日中曳行される「秩父祭笠鉾特別曳行」が行われ、その記念にと秩父鉄道では7日の一日に限り「パレオ」をデキの五重連で運転する事を発表。電気機関車が五台も連なった客車列車・・・想像もつかないようなこの列車を一目見たくなり、私は7日の日曜日に秩父へと向かう事にしました。久しぶりに訪れる秩父鉄道、できれば日曜以外の曜日に訪れたかったところなのですが・・・(理由は後述。ね、やなぼーさん・・・ ^^;)。
10月7日(日)
まずは武蔵野線で北朝霞へ出て・・・(お、メルヘン車)。
武蔵野線 西国分寺
北朝霞に隣接する朝霞台から東武東上線で
寄居方面へと向かいます。
東武東上線 朝霞台
終点の寄居まではいかず、玉淀で東上線を下車。
東武東上線 玉淀
西国分寺0640-(武蔵野617E)-北朝霞0700
朝霞台0710-(東上線急行)-小川町0809~0812-(東上線)-玉淀0825
武蔵野線と東武東上線を乗り継いでやってきたのは、玉淀。玉淀は東上線と秩父鉄道の接続駅である寄居のひとつ手前にある駅なのですが、これから目指す秩父鉄道の撮影地は寄居よりもこの玉淀の方が近いので、ここで下車することに。
玉淀駅のすぐ脇には荒川が流れていて、
東上線は高いガーダー橋でそれを跨ぎます。
なかなかの好撮影地で、秩父鉄道へ向かう前に一枚パチリ。
私が乗ってきた列車の折り返しが通り過ぎてゆきました。
東武東上線 玉淀-鉢形(後追い)
埼玉県北部、羽生から熊谷、寄居、長瀞、秩父を経て、三峰口までを荒川に沿って結ぶ秩父鉄道。このブログでも何度か紹介していて、今さら説明する事も無いおなじみのローカル私鉄ですが、さすがに今回のようなデキ五重連+客車四両という長編成を撮った事は無く、全編成が入るような引きのある撮影地と言うと編成撮りのメジャーポイントである桜沢~寄居の直線くらいしか思い浮かびませんでした。玉淀から歩く事10分ほどで、そのポイントに到着。すでに何人かの先客がおられ、挨拶して私もその横に加わります。カメラをセットしたと同時に踏切が鳴り、まずやってきたのはコレ。
現れたのは・・・あれ?キハ110!?
秩父鉄道の撮影ポイントなハズなのに、通過して行ったのはJRのディーゼルカーであるキハ110。というのも、このあたりは秩父鉄道とJR八高線の単線並列、つまり並走区間で、写真側から見て手前の電化された線路を秩父鉄道が、奥にある非電化の線路を八高線が走っているのです(ちなみに八高線だと、この撮影場所は用土~寄居間になります)。撮影地の傍らにある踏切は両線を跨いでおり、どちらの列車が来るのかは現れてみないと解りません。その八高線の通過から二分後に再び鳴りだす踏切・・・まあ、今度は間違いなく秩父鉄道の方でしょう。
続いて手前の線路を秩父鉄道の7500系が通過。
両線は寄居での接続が図られているらしく、
だいたい数分続行でこのポイントに現れます。
秩父鉄道 桜沢-寄居
秩父鉄道と言えば、本命の「ELパレオ」の他にもうひとつ、ぜひ押さえておきたい車両があります。それは元・国鉄(JR)101系の1000系。国鉄通勤形のパイオニア的存在であるこの電車、秩父鉄道に譲渡後も国鉄時代の塗装を纏ったリバイバルカラーなどでファンを楽しませてきましたが、さすがに老朽化で次々に離脱。いま撮った元・東急8000系列の7000・7500系に置き換えられ、現在も生き残っている1000系はわずか三本のみとなってしまいました。その三本も近い将来の引退がウワサされており、ひょっとすると今回が最後の撮影機会になってしまうかもしれません。「パレオ」通過までの待ち時間に現れてくれればラッキーなのだけれど、運用に入っているかどうか解らず、たとえ動いていてもこの撮影地には来ない羽生~熊谷の区間運用に入っている可能性もあって、捕らえられるかは運次第。踏切が鳴るたびに期待するも、やってくるのは元・東急車か元・都営三田線の5000系ばかり・・・。撮影地に着いて待つ事一時間が過ぎた頃、ようやく懐かしいモーター音が背後から聞こえてきました。
上り方面へ秩父鉄道オリジナルカラーの1010Fが通過。
色は違えど、国鉄101系の面影を存分に感じる事ができます。
秩父鉄道 桜沢-寄居(後追い)
なんとか秩父鉄道オリジナルカラーの1010編成が撮れました~(^^)。一本でも撮れたのは嬉しいけれど、こうなると欲が出てきて、今度は国鉄リバイバルカラーの編成が撮りたくなるもの。現役三本中残りの二本はオレンジの1003編成とスカイブルーの1001編成。どっちか来ないかな・・・などと思いつつも時間は流れ、まもなく「パレオ」の通過時刻を迎えます。あとはその「パレオ」とこの先にある桜沢駅で交換する上りが一本あるだけ。果たしてその列車は・・・
ここでのラストチャンスに走り抜けたのはオレンジの1003F!
個人的に101系はオレンジがいちばん似合うと思っているので、
この登場はホントに嬉しかったです。
オレンジキタ━ヽ(ヽ(゚ヽ(゚∀ヽ(゚∀゚ヽ(゚∀゚)ノ゚∀゚)ノ∀゚)ノ゚)ノ)ノ━!! もう諦めて「パレオ」の編成長に合わせたアングルにしようかとも思ったけれど、もしや・・・の勘が働いて、三両アングルのままにしておいて良かったよ・・・。1010編成に続いてこちらも後追いでの撮影だけれど、秩父鉄道は基本的に尾灯を点けないみたいだし、国鉄時代は前灯が非点灯だったので、これはこれでいいのです( ただ、ワンマン運転なので運転士がいないのが不自然だけれど・・・^^;)。思いがけないオレンジの登場で撮影地の盛り上がりは最高潮。そこへ機関車五台、高々とパンタ10基を揚げた「ELパレオ」がゆっくりと、まるで節足動物のようなもそもそとした動きで現れました。
赤塗装のデキ103を先頭に青デキ四連を連ねた五重連。
機関車五台の迫力もさることながら、10基のパンタが物々しい!
秩父鉄道 桜沢-寄居
うわ~、こりゃまたスゴいなぁ・・・(;゚д゚)ポカーン 。実現してくれた秩父鉄道に敬意を払いつつもあえて言うならば、よくぞこんな酔狂な列車を企画したものだと思います。わずか四両の客車に機関車五台、しかも全パン上ゲ・・・撮影後に横を通過してゆくのをまじまじと眺めていたら、なんだか笑いがこみ上げてきてしまいました ヾ(@゚▽゚@)ノアハハハハハハ。それにしてもこれだけの動力を集中して、変電所がオーバーヒートしないのだろうか・・・。先頭をつとめた真っ赤なデキ103にはヘッドマークの他に日章旗も掲げられ、奇しくも前日のお召し列車に続き二日連続で日章旗クロスの列車を見る事となりました。
デキ五重連の「パレオ」、そして後追いながら二本の1000系も撮れた事に満足して、午前の部は終了。以前にも書いたように、急いで撤収して続行の電車に乗れば、長瀞か秩父で今の「パレオ」を追い越して、もう一度撮ることも可能なのですが、駅近で機関車五台もが入るような撮影ポイントはパッと思い浮かばないし、それにせっかく久しぶりに寄居まで来たので、ここでお昼を採る事としました。寄居と言えば、弊ブログによく遊びにきてくれるソネブロ仲間「徒然なるままに日暮らし」のやなぼーさんのお膝元。そのやなぼーさんがブログ内でよく地元・寄居や秩父の名店を紹介しており、そのなかでも一押しとしてススメられたのが、寄居駅前にあるカツ丼の「今井屋」さん。
ソネブロ仲間の内輪ネタですが・・・
撮影地からの帰り道、遠くに赤いN◯Xの姿を発見(左下)。
もしや!と思いましたが、すれ違い様によくみたら
「黄色い輪っか」が付いていなかったので
やなぼーさんの愛車ではないみたい・・・(^^;)。
行きは玉淀から歩きましたが、撮影地は寄居へも歩ける距離。
寄居にはJR八高線、東武東上線、そして秩父鉄道の
三路線が乗り入れています。
三社が改札を共用する共同使用駅ですが、
東上線、八高線がICカード使用可なのに対して、
秩父鉄道は非対応で、清算がチョットややこしい。
秩父鉄道 寄居
そんな寄居駅のすぐそばにあるのが
「タレカツ丼」で有名な「今井屋」。
でもお店にはシャッターが閉じられています・・・。
しかし残念ながら今井屋は日曜が定休日。冒頭でちょっと触れた「日曜以外に来たかった」という理由はこれで、定休日はやなぼーさんのブログで知っていたのですが、五重連が7日の日曜日一日限りの運転だったので致し方なかったのです。次回訪れた時へのリベンジを決意して今井屋を後にし、お昼が食べられそうな別のお店を探すことにします。しかし、めぼしいお店が見つからない・・・。他にやなぼーさんが紹介していた懐石料理の「喜楽」は発見できたけど、ランチに3000円越えはちょっと贅沢すぎ。リアルタイムにブログで紹介されていたボリュームのある中華料理屋さんはとても歩ける距離じゃない。かといって、駅前にあるチェーン店(◯屋◯兵衛)じゃ味気ないし・・・。結局、ふらふらしていて見つけたお蕎麦屋さんへと入ってしまいました。
ふだんは蕎麦派の私ですが、
いちおう名物だと言う手打ちの「胡麻だれうどん」を注文。
まあ、可もなく不可もなく・・・といったところ。
うどんだけではちょっと物足りなかったので、
近くのお店でタイヤキも買っちゃいました。
今回はこのタイヤキだけがやなぼーさんオススメで
唯一買えたものだったなぁ・・・。
(やなぼーさん、スミマセン ^^;)
ちなみにタイヤキはアタマからがぶっと食べる派です。
さて、オナカも満たされたところで午後の撮影へと向かいます。狙いはもちろん先ほど撮った五重連の復路。上りの撮影地にもあまりアテは無いけれど、まだ通過までは時間があるので、車窓を眺めながら探すとしましょう。こういった下車駅が決まっていない場合は、最短区間のキップを買って後で清算します(秩父鉄道はICカード使えないしね)。
寄居駅に入ってきた三峰口行きの下り電車は、
先ほど撮った1000系秩父色の1010F。
私は意外と「乗り」の方では1000系と相性がよく、
訪れるたびに乗る機会に恵まれます。
秩父鉄道 寄居
懐かしい元・国鉄101系のモーターサウンドを聴きながら車窓に目をやると、寄居の市街地を抜けた列車はやがて荒川の渓流に沿って走るようになります。この辺は秩父鉄道の中でもとくに景色の良いところなのですが、線路のすぐ脇を交通量の多い県道が並走していて、スッキリとした抜けのよい撮影地がありません。そこでさらに先へと進むと、不意に線路端を流れる赤い波が目に飛び込んできました。思わずそれに吸い寄せられるように下車したのは上長瀞。
寄居1224-(秩父1525)-上長瀞1244
立派な佇まいの上長瀞駅。
近くには県立の自然博物館があり、
「パレオエクスプレス」の名の由来である
恐竜「パレオパラドキシア」の骨格復元模型などが
展示されているようです。
秩父鉄道 上長瀞
上長瀞駅から長瀞に向けて、線路端に群生していたのは
ヒガンバナの赤い花。
秩父鉄道 上長瀞付近(開いた踏切から撮影)
そう、線路端に沿っていた赤い波とは秋の風物詩でもある曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ことヒガンバナ。見事なまでに咲き誇った赤い花々が群集となって長瀞方向へ伸びています。引き幅が無くて五重連を撮るには向かないポイントですが、せっかく列車と絡められるところにきれいな花を咲かせているので、少しここでも撮影をしてゆく事にしました。時間的に上下一~二本ずつ撮るくらいの余裕はあるかな・・・。
真っ赤な曼珠沙華の列を愛でながら傍らを走り行く、
元・都営三田線6000系の現・5000系。
秩父鉄道 長瀞-上長瀞(後追い)
次にやってきた下り列車は6000系の急行「秩父路」。
「秩父路」は上長瀞を通過するため駅の時刻表には載っておらず、
あやうく撮り逃すところでした。
秩父鉄道 長瀞-上長瀞
線路脇の小径は地元民の生活路でもあります。
小学生くらいの女の子が、ピカピカの自転車を
大事そうに手で押して歩いてゆきました。(^^)
今度は逆方向を向いて上り列車を。
こちらは逆光になりますが、
日の光に浮かび上がった曼珠沙華もなかなか美しい。
秩父鉄道 上長瀞-長瀞
ちょうどウマい具合にこの時間帯(だけ)は陽が差し、青空も広がってきて、赤い花がいっそうキレイに映えてくれました。予定通り、上りの普通列車二本、下りの急行列車一本(+自転車一本)を撮ったところで撤収し、次の列車で五重連が撮れる撮影地へ向かう・・・つもりでした。しかし、そばでご一緒させていただいた同業者の方は「おそらく次の下り列車はオレンジの1000系(1003F)だろう」と言っておられます。実は秩父鉄道の運用は単純な往復運転ではなく、途中で入庫や区間運用などが入るため、私のような秩鉄ビギナーには運用が掴みづらい。朝の寄居で上っていったオレンジは熊谷止まりで、その後入庫したのか折り返してくるのかサッパリ解りませんでした。しかし下り方面へ行くところを見ていないのは確かなので、運用に入っていればそろそろ現れてもおかしくない・・・。でも、まさにこの下り列車に乗らなければ、五重連の通過前に他の場所へ移動することができません。いつもながら乗ったら撮れないは徒歩鉄の悩み。さて、どうするか・・・(-`ε´-;)ウーン。 前述したように引退危機が迫りつつある1000系、この曼珠沙華との組み合わせも今シーズンがおそらくラストになると思われます。悩んだ末、私は次の列車も乗らずにここで待つ事としました。ところが、そこに現れたのは・・・
曼珠沙華が彩る路を軽やかに駆け抜けてゆくのは、
1000系ならぬ、7500系・・・orz
秩父鉄道 長瀞-上長瀞
元東急車の7500系・・・残念ながら予測は外れてしまいました (´・ω・`) 。これならば乗って移動した方がよかった・・・などと今さら言ってもあとの祭り。もちろんこれで同業の方を責めたりはできません。ここに残ったのは自分自身の判断ですし、本当にビギナーにとって秩父鉄道の運用を読むのは難しいものなのです・・・。とはいえ、これで列車での移動はできなくなってしまいました(正確に言えば、数駅程度なら次の列車でも移動できるけれど、撮影地までの時間などを考えるとかなりキビシイ)。でも幸いな事に上長瀞と言えば、すぐ近くに秩父鉄道屈指の有名撮影ポイントがあります。曼珠沙華の小径から上長瀞駅を通り抜けて反対の親鼻方面へと進み、やってきたのは荒川の河川敷。ここは昨年の「ELみつみね」の時も復路を撮った場所なので、今回は違う撮影地を選びたかったところですが、自分のアタマの中に残された選択肢はもうここしかありませんでした。
荒川に架けられた高いガーダー橋を渡る、秩父色1000系。
私が寄居から乗ってきた列車が折り返してきたものですね。
秩父鉄道 親鼻-上長瀞
しかし本命列車の30分前に着いてみると、すでに河川敷には大勢の先客が待ち構えており、私が撮影できそうなポジションはほとんど見当りません。なんとか確保できたところからは三両編成の1000系を撮るのが精一杯で、五重連を入れるのはかなり苦しい。あと残された手段はと言えば・・・川の中から撮る方法。川は浅瀬なのでズボンの裾をまくって、くるぶしあたりまで浸かればなんとかなんとかなりそうですが、すでに季節は秋で山あいを流れてきた荒川の水はかなり冷たそう。でも背に腹はかえられず、通過の10分前に思い切って靴と靴下を脱いで川へと足を突っ込んでみました。はじめは思っていたほど冷たくない・・・などと感じたものの、やはり時間が経つにつれて徐々に足先から体中へ冷えが回ってきます。ああ、はやく・・・はやく「パレオ」よ来てくれ~(((((((;´д`)))))))ガクガクブルブル。そこへ聞こえてきた、汽笛一声・・・。
今度は青デキ四重連の後に赤デキが続く形となった五重連。
荒川橋梁を渡るシーンを真横から眺めると、
まるで模型のような光景です。(^^)
ゆっくりと現れたにもかかわらず、若干の切り位置ミス・・・。できれば三機目と四機目の間のちょうど真ん中に架線柱を置きたかったところだったのですが、手持ちで焦って、早切りしちゃいました・・・。それでもこの雄大な鉄橋で五重連が撮れたのだから、満足のいく結果だったかな。撮影後、列車がすべて橋を渡り切るよりも先に、私が冷たい川から飛び出したのは言うまでもありません。
これでデキ五重連の「ELパレオ」を狙った秩父鉄道の撮影は終了です。SLの故障という緊急事態の苦しいなか、このような楽しい列車を走らせてくれた秩父鉄道の努力と心意気にはファンのひとりとして本当に感謝です。個人的には寄居のお昼ゴハンに心残りができてしまいましたが、それはまた訪れた時の楽しみとして取っておく事にしましょう。次回はひょっとすると、1000系の「さよなら運転」なんてことになるのかなぁ・・・(はやくも葬式鉄宣言!?)。
帰りは御花畑を経由し、西武秩父・池袋線へ。
連休中のわりに秩父からは空いていたのですが、
途中の高麗ではホームに溢れんばかりの人が乗り込み、
一気に車内も大混雑に・・・。
そういや高麗は曼珠沙華で有名な巾着田の最寄り駅でしたね。
西武秩父線 西武秩父
上長瀞1524-(1535)-御花畑1545
西武秩父1600-(西武秩父線)-飯能1648~1649-(池袋線急行)-所沢1713~1717-(国分寺線)-国分寺1734
ONE-shot 98 Special Train
今年も各地で様々なイベントが行われるなかで私が選んだのは、
東日本を一周した「カシオペア・クルーズ」号の撮影でした。
しかし、牽引機に「虹ガマ」ことEF81 95が抜擢された
ネット掲示板によると、すでに通過二時間前の段階で、
ワシクリ(東鷲宮~栗橋) 50人! (; ゚ ロ゚) エェ!!
ヒガハス(東大宮~蓮田)100人!!(; ロ )゚ ゚ ナヌ!!
との情報が。
いくらなんでも、そんなおおげさな・・・なんて思いながら、
ヒガハスを車窓から見てみると、本当に現地は三脚の林状態。
その光景を見た私は、もう戦意を喪失・・・。
じゅうぶんに「スペシャル編成」の魅力を感じる事ができました。
かつての車掌車「ヨ」を再利用したギャラリー・カフェのなかで、
すばらしい絵画や焼き物の作品を眺めながら、美味しいゴハンをいただく・・・
たまにはこんなのんびりとした「鉄道の日」の過ごし方もアリかな?
ONE-shot 99 回送列車
私も土曜日にちょっと遠出をし(といっても、関東近郊)、
日曜日は近場の中央線で115系スカ色編成による
「なつかしの 115系 急行かいじ号」を撮影してきました。
そこで順序は逆になりますが、
前回に続き、連続の「One-shot」ネタですが、
今回は本当にこの一枚くらいしか収穫が無かったのです。
と、いうのも・・・
中央線の新宿~甲府間で運転された「115系 かいじ」。
高尾以西の山線には先々週のお召し列車撮影で訪れたばかりなので、
今回はふだんの定期列車では115系が入線しない
新宿から立川までの間で撮影を考えていました。
まずは豊田電車区から始発駅の新宿へと送り込まれる回送列車から。
でもこの列車をただの回送と侮る事なかれ。
東西に伸びる中央線にとって、朝に東へ向けて走るこの列車は、
もっとも光線状態が良くなります。
表示幕の「回送」表示はちょっと残念だけれど、
バリバリの順光でヘッドマーク付きの115系を
しっかりとモノにする事ができました
(ゆるキャラさん、お膝元にお邪魔しました ^^)。
続いて「急行」表示が期待される本運転は、
高架の複々線区間を行く姿を狙おうと、急いで杉並区にある某駅へ。
駅の先端はすでに先客の同業者で一杯でしたが、
少し引いた位置から長めのレンズで抜けばウマく撮れそう。
顔には光が当たらないものの、半逆光で決して悪くない感じです。
しかし・・・ハイ、大方の予想通り、
見事に緩行線にカブられました~(T▽T)トホホ
いくら光線状態がよくても表示が「回送」では、
「急行かいじ」の魅力も半減・・・かな? (^^;)
ひたちなか海浜鉄道・・・キハ205撮影記
紅葉にはちょっと早いものの、すっかり秋本番。「天高く馬肥ゆる秋」の言葉通り、澄み切った青空がとても高く感じられるようになってきました。こうなると、上空に架線やケーブルなどの障害物がなくて思いっきり空を見上げることができる、非電化路線を訪れたくなるのは私だけでしょうか? 関東近郊の非電化路線といえば今いちばんアツいのは、久留里線や小湊鉄道、いすみ鉄道などが集中する千葉の房総半島だと思いますが、房総は先月にいすみ鉄道を訪れたばかり。そこで今回の旅は、そのいすみ鉄道を訪れる際に行き先候補として天秤にかけたもうひとつの非電化路線、茨城のひたちなか海浜鉄道・湊線をたずねてみることにしました。
10月20日(土)
E531系の常磐線・勝田行き「普通列車」。
常磐快速線を走る快速電車(E231系)と普通列車(E531系)は近年、
地下鉄千代田線へと直通する緩行線と区別するため、
種別を「快速(特快)」に統一しましたが、
私は今でも青帯の中距離列車を「普通」と呼んでしまいます。
常磐線 土浦
まずは常磐線の普通(快速)列車に乗り込み、水戸の先にある勝田を目指します。行き方は異なるものの、前週の笠間に続いて二週連続の茨城。実は本来なら笠間のギャラリー「かしゃま」を訪れた後に、湊線へと向かう計画を立てていたのですが、私が笠間を出る頃から天気が崩れて雨が降り出したため、この日は結局ひたちなかへは寄らずにそのまま東京へと帰ってしまいました。翌週にあらためて同方面へ出直すのが果たして賢明なのかどうか深くは考えないことにしますが、とりあえず今週は天気が崩れることは無さそうです。常磐線は眩しい朝日を浴びながら北上し、上野から二時間かけて、湊線の始発駅・勝田に到着。
上野0732-(常磐1333M)-勝田0951
常磐線の車両基地(勝田車両センター)がある勝田。
ホームからも留置してある485系(K60)やE653系などを
眺める事ができました。
常磐線 勝田
ひたちなか海浜鉄道・湊線は、ここ勝田から漁港や市場のある那珂湊を経て、海水浴場で有名な阿字ケ浦までを結ぶ全長14.3キロの短いローカル私鉄で、全線非電化単線。近年の市町村合併により、その全線・全駅が茨城県ひたちなか市内にあるというちょっと珍しい路線です。オールドファンには「茨城交通・湊線」と呼んだ方が馴染み深いところでしょうが、茨城交通は赤字で採算の取れない鉄道事業(湊線)からの撤退・廃線を示唆。その廃線危機を救うべく08年に新たに誕生したのが、ひたちなか市と茨城交通が折半で出資する第三セクター方式の鉄道、「ひたちなか海浜鉄道」なのです。新会社への移行後は地元の支援やボランティアなどの協力もあって、徐々に活気を取り戻した湊線。しかし、一昨年に発生した東日本大震災で湊線は更なる試練を与えられる事になってしまいます。地震で路盤は崩壊し、レールは湾曲。ホームやトンネルなどにも亀裂や陥没箇所があり、復旧費用は概算で約三億円・・・。第三セクターのローカル線にはとてつもない負担額で、今度こそ廃線になってもおかしくない状況に追い込まれてしまいました。それでも地域の足として重責を担うひたちなか海浜鉄道は、諦めずに復旧を決意。震災からわずか4ヶ月あまりで、湊線の全線復旧を果したのです。この運転再開は沿線だけでなく、他の被災地域にも大きな勇気を与えたことでしょう。(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチパチパチ
勝田駅のいちばん東側に位置する
1番線がひたちなか海浜鉄道のホーム。
中間改札を抜けたその先には
すでにお目当ての車両が停車中~(^^)
ひたちなか海浜鉄道湊線 勝田
そんな湊線を応援すべく、復旧後はすぐにでも駆けつけよう・・・などと思いながらもズルズルと時は流れ、気がつけば復旧から一年以上も経ってしまいました m(._.*)m スンマセン 。 湊線を訪れるのは、新会社への移行直後に乗り直し目的で全線を往復して以来4年ぶりのこと。できればもっと早く来たかったところなのですが、なかなかお目当ての車両が運転される日と自分の都合が合わなかったのです。そのお目当てというのが、旧・国鉄キハ20のキハ205をはじめとした旧型のキハ(気動車・ディーゼルカー)たち。旧型のキハは現在4両が現役で在籍しており、鉄の間では湊線の名物ともいうべき存在なのですが、実はいつでも走っているものではなく、通常の湊線は新型の軽快気動車(いわゆるレールバス・タイプ)キハ3710・37100が主流。旧型を確実に捕まえるには、事前にひたちなか海浜鉄道のHPにある「週末列車」コーナーで運用のチェックが必須です。それによると今週末(10/20・21)は、20日の土曜がキハ205、21日の日曜はなんとキハ2004+2005の二連が運用に就くと書かれています(各日、二運用あるうちの一運用。もう一運用はキハ3710・37100で運転)。旧型が土日とも動くのは案外珍しい事で、しかも日曜は二連! ここでフツーならば一粒で二度オイシイ(古っっっ;)日曜の二連を狙いたいところなのですが、当然同業者も同じ考えのはず。ならばむしろそれを逆手に取り、あえて土曜のキハ205単行の方が空いていてのんびり撮れるのではなかろうか・・・と考えました。それに準急色のキハ2004は以前に撮った事があって(急行色の2005は無いけれど)、個人的にはキハ20系統にいちばん似合うと思っている国鉄標準色のキハ205の方が撮りたい。そこで今回はキハ205が動く、20日の土曜を選んでやってきました。だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、それでは湊線に乗車して撮影へと向かいましょう。
国鉄標準色(風)に塗られた元・国鉄キハ20の現・キハ205。
1965年製で、国鉄・JR西日本から水島臨海鉄道を経て、
96年に湊線へとやってきました。
キハ205は実際の国鉄色よりも若干淡い色なのですが、
懐かしい雰囲気はじゅうぶんに味わう事ができます。
ひたちなか海浜鉄道湊線 勝田
車内は中央にボックス、車端部にロングが併設された
セミクロス仕様。ボックス席は幅が少し小さめです。
日中は空いているイメージがあった湊線ですが、
この日は勝田発車時点でこの状況。
お天気がいいから?それとも何かあるのか・・・?
勝田を出た湊線の列車は常磐線に別れを告げて左へカーブ。
かつては海水浴シーズンに上野や小山から阿字ケ浦へ
直通の急行(快速)が運転されていた事もありました。
その列車は手前の分岐器を渡っていたのでしょうね。
ひたちなか海浜鉄道湊線 勝田-日工前(車窓から)
予想外と言っては失礼ですが、車内は座席が埋まり、立ち客がでるほどの盛況ぶり。経営の苦しいローカル私鉄に大勢の乗客がいるのは喜ばしい事だけれど、海水浴シーズンを過ぎた時期にこの多さは意外(最近は海水浴もクルマ派が主流で、ピーク時でもあまり混まないらしいケド・・・)。しかも一見して地元民ではなく観光客で、よく見るとボックスシートの対面に座った方の手には「ひたちなか海浜公園」のパンフレットが握られています。実は後から知ったのですが、今の時期は海浜公園に咲くコキア(ほうき草)の紅葉が見頃を迎え、テレビなどで大きく取り上げられていたとの事。そういや一日乗車券を買うときに「海浜公園の入場券とセットの方(¥1000)ですか?」と窓口氏に聞かれましたっけ。もちろん私はフツーの一日券(¥800)を購入。
湊線のもうひとつの名物がこの面白い駅名板。
各駅にちなんだイラストを施した文字絵になっているのです。
電動工具メーカーの工場がある日工前はドリルやチェーンソーが、
陸上自衛隊の駐屯地がある金上には飛行機と戦車が描かれています。
ひたちなか海浜鉄道湊線 日工前/金上(車窓から)
海浜公園の最寄り駅は終点の阿字ケ浦(からシャトルバス)なので、途中駅ではほとんど乗客の乗り降りはなく、淡々と先へ進む湊線の列車。勝田からしばらくは県道に沿って住宅街のなかを走っていましたが、二つ目の金上を過ぎるとパッと車窓は一変して、広大な田園風景が広がるようになります。この田園地帯での撮影を考えていた私は次駅の中根で下車。もちろんここで降りたのは私一人でした。
金上を出てしばらくすると、列車は広大な田園地帯へ。
線路は東へ向けてまっすぐと伸びています。
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根(車窓から)
「乗ったら(走行写真が)撮れない」は徒歩鉄最大のジレンマ。
まずは乗ってきたキハ205を見送り、
50分後に折り返してくる上り列車を狙うことに。
ひたちなか海浜鉄道湊線 中根
列車が去ると、誰もいない駅には静寂が訪れます。
中根の駅名板(タイトル写真)は駅近くにある史跡、
虎塚古墳にちなんたもの(矛と前方後円墳)。
ひたちなか海浜鉄道湊線 中根
勝田1005-(湊線121)-中根1014
この金上と中根の間にある田園地帯は湊線屈指の撮影ポイントで、旧型キハが何両も連なるようなイベント列車が走る時などは大勢の同業者で賑わいます。しかしこの日は辺りを見渡しても誰もイナイ・・・やはり翌日に控えた二連運転の方に注目が集まっているのでしょうか。ちょっと寂しい気もするこれど、これは目論見通りで好都合。ふだんはあまり撮れないようなアングルで、先ほどのキハ205が折り返してくるのを待ちます。
雲ひとつない、まさに抜けるような青空のもと、
ツートンカラーのキハ205が力強く駆け抜けてゆきます!
う~ん、秋晴れ最高!O(≧▽≦)O
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根(後追い)
線路端に寝そべるようにして広角を使い、ローアングルで思いっきり空を見上げてみました(もちろん踏切脇の敷地外です)。ここまで線路に近づいちゃうと他に同業者がいる場合、「そこ!アングルに入っちゃうよ!(#`0´)/ 」なんて怒られかねません (先に構えたもの勝ちって考え方もあるけれど、私は極力トラブルを避けたい派なので・・・^^;)。その点この日の同業者は、キハ205の通過間際に来てサイドから狙っていた方のみだったので、気兼ねなく線路端から迫力ある画を撮ることができました。実はこのカット、光線状態重視で後追いを撮ったものなのですが、正向きで撮ってもこの角度だと運転士の姿は見えないので、無問題(湊線は日中、ほとんど前照灯を点けないしね)。むしろ技術的には、向かってくる列車よりも直前まで姿が見えない後追いをこの位置で止める方が難しく、神経を研ぎすまして一撃必撮! なんとか狙った位置で止める事ができて、満足満足 (^^)。冒頭に書いた非電化路線らしい空を大きく入れたカットは、はやくも一本目で達成です。では次はどうやって撮ろうか・・・と考えながら近辺をふらふらしていると、目に留まったのは線路端に咲く黄色い花。
黄色い花をかすめて走るのは、軽快気動車のキハ37100。
ちなみに形式の3710は「ミナト」の語呂合わせです(^^;)
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根
線路に沿って群生していたのは、秋に黄色い花を咲かせる「セイタカアワダチソウ」。他の植物の生態系を崩しかねない外来種であり、さらに花粉症の原因などと言われる事からか、同じ黄色い花でも春に咲く菜の花と違って、あまり好かれる花ではありません(実際は花の形が似ている「ブタクサ」と勘違いされていて、アワダチソウは花粉症にならないともいわれていますが・・・)。いちおう試しに花を入れてキハ37100を撮ってみたものの、やはりモロにアワダチソウってことが解るようなカットは、花粉症の原因ではないと解ってもつい鼻がムズムズっとしてしまいます。そもそもアワダチソウは直立した太い茎と花の形自体があまり美しくないんだよね・・・。ならば茎をカットして、花の形をボカしてしまったらどうだろうか? ・・・というわけで、二本目のキハ205はこんなアングルで撮ってみました。
黄色い「菜の花ロード」ならぬ、
「セイタカアワダチロード」を突き進むキハ205。
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根
晴天に映える黄色い花とツートンのコラボ。ここまで花をボカしてしまえば、菜の花に見えなくもないかも!? (´Д`;)ミエネーヨ・・・。意外と悪くないカットが撮れましたが、やっぱりもうアワダチソウとの絡みはいいや・・・。次のキハ205は阿字ケ浦からの折り返しで、また50分待ち。その頃にはもう列車の顔に日が当たらなくなっていると思われるので、今度はサイド寄りから狙ってみる事にします。ここは広い田園地帯ですから、ちょっと線路から離れるだけでサイドもスッキリと撮ることができ、撮影ポイントはすぐに決定。キハ205の通過まではまだかなり時間があるけれど、その前に先ほどのキハ37100がやってきます。本命ではないこの列車、でもせっかく来るのならシャッターを切らなきゃもったいない。そこでちょっとお遊びのつもりで、シャッタースピードを低速に落としてカメラを振ってみる事に。
キハ37100-03はひたちなか海浜鉄道二周年を記念した
「アニマルトレイン」。
サイドには動物のイラストが描かれています。
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根
サイドからの流し撮り。低速シャッターといっても、ここまでピーカンだと最小に絞ったところでシャッターは1/15sec程度にしか落ちず(f22・ISO50)、さらに列車の速度もそれほど出ていないことからあまり背景は流れません。でもちょっとは列車に躍動感が出て、、フツーに撮るよりは面白いかも・・・。当初、本命のキハ205は振らずにピシッと構えて撮るつもりでしたが、このキハ37100の画を見て考えが変わりました。キハ205の方も流しにトライ。
のどかな田園地帯を颯爽と走る国鉄色キハ20の姿は、
まさに国鉄時代を彷彿とさせる情景。
これが2012年に見られるのですから、本当にありがたい事です。
シャッター速度を半段ほど早めたこともあって、こちらも写し止めることはできました。でも・・・なんだか先ほどのキハ37100ほどの面白さを感じない。車両を画面の真ん中に持ってくる「日の丸構図」は避けよう・・・とか、せっかくならあぜ道の踏切を入れた方が絵に変化が出るか・・・とか、いろいろと考えすぎてしまって、それがむしろ裏目に出てしまったような気がします。そして何よりも、今回はばかりは車両自体の面白さがキハ37100にあったということ。あのゆる~いアニマルキャラが絵の楽しさを演出してくれたんですよね。シブいキハ205はスピード感のある流し撮りよりも、どしっと構えて撮った方が絵になるのかも知れません。再び折り返してくる下り列車は、そのまま引き画で撮影。もちろん今度は流しません。
金上からの築堤を駆け下りてくるキハ205。
実はこの築堤が震災でもっとも大きな被害を受けたところで、
路盤が崩れて線路は宙づり状態となってしまいました。
再びこうやって列車が走れるようになったのも、
関係者の多大な尽力あっての事。
まさにひたちなか海浜鉄道は全力で湊線を守り抜いたのです。
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根
手前に田園が広がり、遠くに勝田の街を臨めるこの場所はいかにも湊線らしくて、撮りたかったポイントのひとつ。やはり顔に日は当たらなくなっていましたが、のんびりとした雰囲気の一枚を撮ることができました。これで撮影を終了して中根駅へと戻ります。三時間の滞在で二往復・四本のキハ205、もうじゅうぶんに満足です。
中根駅へ戻る道すがら、
そろそろキハ37100が戻ってくる時間だな・・・と、
歩きながら片手間にカメラを構えると、
なんとキハ3710を二両も増結した三連で現れました。w(゚ロ゚)wワオ!
前二両は団体専用のようです。
ひたちなか海浜鉄道湊線 中根-金上
最後部は先ほどのキハ37100「アニマルトレイン」。
キハ3710とキハ37100はほぼ同一構造ながら
ブレーキの二重化など一部仕様が異なるらしい。
ひたちなか海浜鉄道湊線 金上-中根(後追い)
中根駅のホームで食べるお昼ゴハンは、
行きしなに水戸駅で買ってきた「常陸牛の牛べん(¥1000)」。
常陸牛のすき煮がびっしり敷き詰められてボリューム満点!
添えられた高野豆腐のゆば巻きと煮玉子も美味しかったです。
☆☆☆☆・
午後は常磐線沿線の柏にある実家へ用事があったので、ちょっと早めの撤収。でもせっかくここまで来たのだし、一日乗車券も持っているので、終点の阿字ケ浦まで往復してから帰ることにしました。本当はキハ205で乗り鉄したいところですが、キハ205を見るとどうしても撮る方を優先して乗らずじまいになってしまいそうなので、ここはキハ3710で運転されている列車に乗り込みます。
中根に入ってきたのは先ほどのキハ3710三連。
でも後部二両は回送締切扱いでした。
ひたちなか海浜鉄道湊線 中根
中根の次駅は車両基地のある那珂湊。
手前にいる首都圏色は国鉄から鹿島臨海鉄道を経て
湊線へやってきたキハ200ですが、すでに車籍はありません。
その傍らには日本初のステンレス製気動車で、
現在はギャラリーとして再利用されている
ケハ600の車体も見えます。
ひたちなか海浜鉄道湊線 那珂湊(車窓から)
ホーム脇には翌日の運転が予定されている
準急色キハ2004(手前)+急行色キハ2005が留置。
この両者は元・留萠鉄道の車両です。
右端にチラッと写っている営業運転中のキハ205と、
姿は見えませんでしたが、スカ色に似た旧国鉄標準色
(青+ベージュ)のキハ222(元・羽幌炭礦鉄道)が
湊線旧型キハのラインナップです。
ひたちなか海浜鉄道湊線 那珂湊(車窓から)
午後になって海浜公園へ向かう観光客は一段落したらしく、車内は地元客で座席が半分埋まる程度の乗車率。これがふだんの姿かもしれませんが、日中のローカル線でこのくらいお客さんが乗っていれば、まずは一安心と言ったところか。しかしその大半は沿線随一の町である那珂湊で降りてしまい、その先はガラガラになってしまいました。これから海浜公園へ向かうと思われる二組のカップルとともに乗り続けて阿字ケ浦へ。
那珂湊から先の車窓はしばらく住宅街が続きます。
意外にも大きく開けているのは先ほどの中根付近か、
この先の平磯~磯崎くらい。
ちなみに路線名は「~海浜鉄道・湊線」ですが、
車窓から海はほとんど見えず、
殿山~平磯の踏切から一瞬見える程度。
ひたちなか海浜鉄道湊線 那珂湊-殿山
中根から17分、勝田から乗り通しても26分ほどで
湊線の終点、阿字ケ浦着。
以前に来た時よりもホームがきれいになっていました。
ひたちなか海浜鉄道湊線 阿字ケ浦
阿字ケ浦の駅名板は海産物。
なかでも目を引くのは「字」に使われている、茨城名物のアンコウ。
そろそろアンコウ鍋の美味しい季節ですね~。(^^)
ホームは改修されても、駅舎は昔のまま。
味のある木造平屋建ての駅舎に手書きの駅名板が掲げられています。
かつては海水浴客で賑わいを見せた駅も、今はひっそり。
ひたちなか海浜鉄道湊線 阿字ケ浦
中根1325-(131)-阿字ケ浦1342
時間的な都合もあって、阿字ケ浦からは乗ってきた列車で折り返す、まさにトンボ帰り。もう少し余裕があれば、那珂湊の「おさかな市場」などにも寄りたかったところです。でも私の場合、余裕があったらあったで市場へは行かずに、ずっとキハ205を撮り続けていたことでしょうね・・・(^^;)。このところ、お召し列車、秩父五重連、カシオペアクルーズと、同業者が多いネタ列車の撮影ばかりが続いていましたが、この日は久しぶりにのんびりと撮ることができた、秋晴れの湊線訪問でした。
今回使用した「湊線1日フリー切符(800円)」。
勝田~阿字ケ浦は片道570円ですから、
単純に往復するだけで元が取れちゃいます。
我々、鉄ができる最大の支援は「乗る事」ですよね!
阿字ケ浦1355-(134)-勝田1421
勝田1424-(常磐1422M)-柏1605
PR: 大会オリジナルグッズ等が当たるキャンペーン実施中!
ONE-shot 100 最後の一線。
今から14年前になる98年12月の事。
最後の一線は青森の八戸線で、
記念すべき完乗日を自分の誕生日に設定したものです。
その後、完乗の目標は私鉄へと移行。
大都市近郊の大手私鉄、地方のローカル私鉄、
地下鉄、新交通、モノレール、路面電車に至るまで、
鋼索線(ケーブルカー)を除く全路線をこつこつと乗り潰し、
ついに04年の5月、万葉線の越ノ潟駅へ降り立った時点で、
残るは青森の津軽鉄道ただ一線となりました。
しかも未乗なのは、金木~津軽中里のわずか7.9キロだけ。
しかし、女々しいというか、往生際が悪いというか、
この最後の一線がもったいなくなってしまい、
今までどうしても乗れずにいたのです。
いつかは乗り潰そうとは思うものの、
なんだか踏ん切りがつかない。
もう誕生日がめでたいなんてトシでもないですし。
でも、まあ慌てる必要は無く、そのうちに・・・
なんて悠長な事を考えていたのですが、
その考えを改めさせられたのが昨年の大震災。
大切なものが一瞬にして失われてゆく様を目の当たりにしました。
ここでは津軽鉄道が地震などで・・・という
縁起でもないことを言うつもりは毛頭無く、
むしろ自分自身がこの先どうなるか解らない。
そう考えると、やはり完乗だけは果しておくべきかと
そんななか、手前味噌ながら巡ってきたのが
弊ブログの一枚写真コーナー「ONE-shot」の#100。
ぶっちゃけ、「ONE-shot」の番号にあまり意味はなく、
初めの頃に何となく勢いで付けちゃっただけ。
それでも何かのキッカケを求めていた私にとってはいいタイミングで、
はじめは終着駅の津軽中里に到着した列車か、
駅舎の外観にしようかと考えていたのですが、
実は完乗することに対していちばん気分が高まったのは、
最後となるこの列車が岩木山をバックに
ああ、コレが最後の未乗区間を走ってくれる列車なのだ
・・・と。
停車して扉が開いた津軽中里ゆきへ、
私は一瞬ためらいながら、ゆっくりと乗り込みました。
青森2012 その1・・・津軽鉄道 乗車記
前回の「ONE-shot」で先に伝えたように、先週末は金曜日に休暇を取って、土・日と合わせた三日間で青森県へ。実はこの青森遠征、当初は津軽鉄道の乗り潰しが目的ではなく、先月に行った海外出張の仕事が落ち着いたら東北あたりでのんびりと撮り鉄がしたいと思い、ひと月ほど前から計画していたものだったのです。昨年は惨敗に終わった田沢湖線(秋田新幹線)の紅葉をリベンジするもよし、今や貴重となった「正統派ブルトレ」の「あけぼの」を撮影するもよし、しばらくご無沙汰になっている津軽線や大湊線の乗り鉄なんかもイイなぁ・・・などと、いろいろなプランが浮かぶものの、大筋は昨年に近いものでまとまりつつありました。しかし前回も書いたように、ここへ来て弊ブログの一枚写真コーナー「ONE-shot」が#99となり、次は節目の#100。「ONE-shot」の番号に深い意味は無いけれど、せっかくこのタイミングで100回目となるのなら、なにか想い出に残るような一枚を載せたいもの・・・o(゚^ ゚)ウーン。。。そこで急遽、出発の三日前に計画を変更。この機会に最後の一線としてずっと残していた津軽鉄道を乗り潰し、晴れて鉄道全線完乗(鋼索線を除く)で撮った一枚を「ONE-shot」の#100とする事にしました。そのおかげで列車の指定券や宿の予約を変更するハメになってしまいましたが(田沢湖線の紅葉のリベンジは、来年以降へ持ち越し・・・)、なんとかウマく調整できて準備万端。もちろん先に挙げた津軽鉄道以外にも鉄的な魅力満載の青森で、「乗り鉄」「撮り鉄」を存分に楽しんで来ようと思います。それでは東北新幹線に乗って青森へと向かいましょう。
(*写真の枚数が今回は(も?)ちょっと多めになっています。いつもよりサイズ・画質を落としていますが、もしページを開くのが重かったり、閲覧に支障があるようでしたら、スミマセン・・・m(_ _)m )
10月26日(金)
早朝の東京駅に並んだE2系。
左が私の乗る「はやて11号」新青森行きです。
12.10.26 東北新幹線 東京
朝イチの「はやて」で東京を出発し、一路北へ。この時期に東北新幹線へ乗ると北へ行くほど徐々に紅葉の色づきがよくなり、目を楽しませてくれるのですが、今年はまだ盛岡あたりでも色づき初めと言ったところ(10/26現在)。田沢湖線や北上線など山深い路線に入ればピークを迎えているのかもしれませんが、東北線沿線ではあと一~二週間後が見頃かな?
東京0628-(はやて11号)-新青森1001
開業からまもなく二年を迎える東北新幹線の新青森駅。
在来線(奥羽線)ホームで接続待ちしているのは、
函館行きの特急「スーパー白鳥」です。
12.10.26 奥羽本線 新青森
新青森からは奥羽線の秋田行き普通列車に乗車。
車両は東北ローカルですっかりおなじみとなった701系。
12.10.26 奥羽本線 新青森
新青森から奥羽線の上り普通列車に乗り換えて次に向かうのは、五能線との接続駅である川部。この日はさっそく津軽鉄道を目指します。津軽鉄道の起点は五能線沿線にある五所川原で、この五能線も決して本数が多い路線とは言えず、津軽鉄道へ乗るには起点駅へたどり着くだけでも大変です。五能線に乗るのは昨年秋に「リゾートしらかみ」へ乗って以来、約一年ぶり。そう、去年も五所川原まで来ていたにもかかわらず、津軽鉄道に乗ろうとはしなかったのです・・・。
川部で五能線へ乗り換え。キハ40の二連です。
車窓から臨む日本海の絶景が五能線の魅力ですが、
今回は日本海へ出る手前の五所川原で下車しちゃいます。
12.10.26 奥羽本線 川部
川部を出た五能線の列車は
しばらくリンゴ畑のなかを走ります。
ちょうど収穫間近で、たわわに実ったリンゴを
車窓からも眺める事ができました~(^^)
12.10.26 五能線 林崎-板柳(車窓から)
南側の車窓には津軽富士こと、名峰・岩木山の姿が。
私はこの岩木山との相性はいいらしく、
だいたい訪れるたびにその美しい姿を拝む事ができます。
12.10.26 五能線 板柳-鶴泊(車窓から)
新幹線から電化幹線(奥羽線)、さらに非電化ローカル線(五能線)へと、まるで時代をさかのぼるかのような乗り継ぎをして、ようやくお昼ちょうどに五所川原着。東京から五時間半、これでも東北新幹線の新青森延伸により、所用時間はかなり短縮されているハズです。
新青森1040-(奥羽650M)-川部1115~1128-(五能828D)-五所川原1200
何度か列車で通った事がある五所川原ですが、
駅を出たのは初めて・・・かな?(記憶に無い)
何となく平べったい印象のJR五所川原駅舎。
12.10.26 五能線 五所川原
そのJR駅に隣接しているのが津軽鉄道の津軽五所川原駅。
てっぺんに掲げられた社紋が鉄的に萌えポイント。(^^)
12.10.26 津軽鉄道 津軽五所川原
津軽鉄道(津鉄)は、五能線と接続するここ津軽五所川原から、文豪・太宰治の出身地として有名な金木を経て、津軽半島の中央部にある津軽中里までを結ぶ、全長20.7キロのローカル私鉄。冬場には客車内にダルマストーブを用いる「ストーブ列車」が運行される事でも有名な鉄道です(ただし全列車にストーブが使われるのではなく、現在の「ストーブ列車」は観光客相手のイベント性が強い)。そんな津鉄へ私が訪れるのは89年以来、実に23年ぶりのこと。当時は五能線の完乗目的で東能代から五所川原へとやってきて、そのついでに津鉄へと立ち寄ったのです。
23年前の初訪問時に乗ったのは、国鉄キハ20とほぼ同設計で
津軽鉄道オリジナルのキハ24000でした。
前々回の湊線で撮ったキハ205とは、親戚関係と言ったところか。
89.3.25 津軽鉄道 津軽五所川原
しかしその頃はJR全線の完乗を目標としていても、まさか私鉄まで乗り潰す事になるとは思ってもおらず、文学青年を気取っていた私は津鉄沿線にある太宰治の生家「斜陽館」を見学するために途中の金木で下車。以降、そのときに残した金木~津軽中里、わずか7.9キロが今まで未乗のままとなっていたのでした。そこで今回、一気に五所川原から中里までを乗り通してしまうのではなく、まずは23年前同様に金木まで行ってみたいと思います。やはり最後の未乗区間へ入るには、あらためて仕切り直したい。
津軽五所川原駅は今でも窓口売りの硬券が健在。
まずは金木までのきっぷを購入します。
時刻表も昔ながらの縦型で、もちろん手書き。
ええ~っと、次の列車は・・・一二時三五分(12:35)か。
改札は列車が発車する10分前に始まります。
五能線と共用の跨線橋を上がり、
少し狭くなったその先にあるのが津軽鉄道のりば。
ホームにはすでに列車が停車中。
現在の主力車両は96年製の津軽21形で、
その愛称は「走れメロス号」!
12.10.26 津軽鉄道 津軽五所川原
ホーム脇にある機関区では、
冬の津鉄名物「ストーブ列車」の牽引に使われる
DD35の姿がありました。
今年も12月1日から運転開始予定。
さらに中里方には、
以前来たときに活躍していたキハ24000が!
すでに車籍はなく車体もボロボロですが、
私にとっては懐かしい顔との再会です。
留置車両などを眺めているうちに発車時刻が近づいてきました。
アテンダントさんに迎えられて車内へと入ります。
「走れメロス」のマークを掲げた単行列車は、座席の半分が埋まる程度の客を乗せて、定刻に津軽五所川原を発車。すぐに右カーブで五能線と別れると、まずは進路を東へ。そして二駅目の五農校前付近からは北へと向かいます。その五農校前を出たあたりで「コンニチワ!」と不意に声をかけられ、車窓を眺めていた私が慌てて振り返ると、そこに立っていたのは乗車の際に出迎えてくれたアテンダントさん。最近では車内で沿線案内などをしてくれる、アテンダントを導入する鉄道会社も増え、私も写真を撮らせてもらう際などに声をかけたりするのですが、逆に向こうから声をかけられたのは初めてかも。実は津鉄のアテンダントさんは、なんと乗客全員ひとりひとりに声をかけて車内を回るのです。ちょっと津軽なまりが入った優しい声(これもウリ)で話しかけられると、旅情感が増して嬉しいもの (^^)。そんなアテンダントさんにドコまで行くのかと尋ねられたので、とりあえずは金木と答えると、金木周辺の案内図を手渡してくれました。
笑顔で車内を回るアテンダントさん。
観光客だけでなく地元の方とも気さくにお話しされます。
そのアテンダントさんからいただいた、
金木周辺の観光マップ。
もちろん23年前にはこんなサービスはありませんでした。
車窓に岩木山を映しながら、のんびり、ゆっくり走り続ける「走れメロス号」。もしこんなメロスだったら、きっとセリヌンティウスも気が気じゃないでしょうね(処刑されちゃったりして・・・(´∀`;))。12.8キロの距離を20分かけて走り(表定速度は38.4キロ)、列車は金木に到着。
津鉄沿線の紅葉も所々には見られたけれど、
全体的にはまだまだと言ったところ。
左端の木々に囲まれた小屋は、毘沙門駅。
12.10.26 津軽鉄道 毘沙門付近(車窓から)
前方に懐かしい腕木式信号機が見えてくると、まもなく金木
(これは帰りに後方の車窓から撮ったものなので、
腕木が水平に上がって(停止)います)。
12.10.26 津軽鉄道 嘉瀬-金木(車窓から)
津軽五所川原1235-(津鉄9列車)-金木1258
現在では津鉄唯一の交換駅である金木。
ここでは今でもタブレットの交換が見られるのですが、
列車の並びなんぞを撮っていたらタブレットを
撮り逃しちゃいました・・・(>_<;;)。
12.10.26 津軽鉄道 金木
ちなみにこちらが23年前に撮った金木での交換シーン。
左の方にはチラッと板張りの駅舎が見えています。
89.3.25 津軽鉄道 金木
今ではこんな立派になっていた金木の駅舎。
構内には売店や食堂が併設されています。
12.10.26 津軽鉄道 金木
さて、未乗区間へはあらためて仕切り直したい・・・ということで、途中下車した金木ですが、次の列車までは一時間半もの時間があります。その間をずっと駅で待っているのもアホらしいし、せっかく金木で降りたのならば、やはりここへは行っておくべきでしょう。駅から徒歩7分程度のところにある太宰治の生家「斜陽館」。
明治40年に建てられた立派な佇まいの「斜陽館」。
太宰は自身の作中にこの家の事を
「頑丈なつくりの家ではあるが、何の趣きも無い・・・」
と書いていますが、
私の目からすると、風情ある美しい家だと思います。
とはいうものの、今にしてみれば、私は特に太宰が好きってほどではなく(アノ頃の自称・文学青年はドコへ行った・・・?)、斜陽館は23年前に一度訪れているので見学はもうじゅうぶん。ではなぜ今回もやってきたのか・・・実はここで食事をするつもりでした。前に来た時、たしか中で蕎麦だかうどんだかを食べた覚えがあるのです。想い出の味と言うには記憶が霞んでいるけれど、23年ぶりに同じところで食べるのも面白い。ところが入場料(¥500)を払って中へ入ってみるも、現在の斜陽館は完全なミュージアム(展示施設)となっていて、飲食するスペースはありませんでした。後から調べたところによると、以前に訪れた頃の斜陽館は民間が経営していた旅館で、そこには軽い食事ができる喫茶スペースがあったとの事。しかし経営悪化により旅館は廃業。その後、斜陽館は金木町(当時・現 五所川原市)が運営する太宰治記念館へと改装されたらしい。結局、今回の食事は斜陽館の真向かいにある物産館の食堂でとることになりました。
この日のお昼は
地元の名物を盛り合わせたという「金木めし定食」。
内容は、わかおいこんぶ(昆布を巻いたオニギリ)と、
帆立貝焼みそ、山菜、けの汁。
斜陽館を見学し、食事を終えても、次の列車まではまだ30分以上も時間がありました。そこで、さきほど車内でもらった観光マップを見てみると、斜陽館からは金木だけではなく下り方隣駅の芦野公園へも歩ける距離だと書かれています(徒歩20分ほど)。しかも芦野公園の駅舎には喫茶店が併設されているとの事。ならばここまで歩いちゃって、コーヒーでも飲んでから次の列車に乗るか・・・と、芦野公園へ向かって歩きはじめました。・・・ん?でも待てよ σ(・_・;)、ここで芦野公園まで歩いちゃったら、金木と芦野公園の間は列車で通った事にはならず、未乗のまま残ることに・・・Σ(゚д゚;) ハッ!!。中里からの帰りには同区間を通るので、いずれにせよ最終的には津鉄全線を乗り潰す事はできるのですが、そうすると最後に通るのは上りの芦野公園~金木となり、完乗駅は金木になってしまいます。これが最後の一線でなければそれでも構わないのですが、今回ばかりはやはり未踏の地である終端の津軽中里で締めたい・・・。もう金木よりも芦野公園の方が近いってところまで歩いて来たにもかかわらず、来た道を金木へ向かってUターン。一体何をやっているんだか・・・(;´д`)。でもそのおかげで時間は潰れ、金木へ戻る頃にはちょうど良い頃合に。最後の区間となる金木から津軽中里までのきっぷを買って改札を抜けると、程なくして津軽中里行きの列車が入ってきました(前回の「ONE-shot」は、このとき撮ったもの)。
私の完乗へ向けた最後の列車は、津軽21-103。
眩しい西日が顔を照らします。
12.10.26 津軽鉄道 金木
もちろんこの列車にもアテンダントさんが乗務します。
終点までよろしくおねがいしま~す(^^)
津軽中里行きの車内。
乗客は私を含めて四人ほど・・・。
さあ、いよいよ私にとっては最後となる未乗区間へ足を踏み入れます。しかし交換待ちをしている列車はすぐには動き出しません。そこへいつものようにアテンダントさんがご挨拶に来てくれました「こんにちわ、今日はいいお天気ですね~。さっきそのカメラで列車を撮っていましたよね。車内から見ていましたよ~(^^)」と、乗客が少ない事もあり、心無しか少し長めにお相手してくれる今回のアテンダントさん。そして「どこまでいかれるんですか?」の問いについ、この列車で津軽中里まで行くと全線完乗になる旨を話してしまいました。すると、「すごーい!全部乗ったんですか? 新幹線も? 五能線も? 青い森鉄道も!?」 なんて、いちおう驚いてくれたので(・・・出てくる路線名が、みんな青森県内の身近なところっていうのがちょっと引っかかるけれど ^^; )、嬉しいやら、恥ずかしいやら・・・。さらに「最後に津鉄を選んでくれてありがとうございます。でも他に比べて、なーんも無い線ですよぉ」とも。そんなアテンダントさんと話しているうちに気がつけば列車は発車しており、すでに未乗区間へと入っていたのでした。「じゃあ、もうお邪魔はしませんから、終点までごゆっくり・・・」と言い残して、アテンダントさんは次のお客さんの元へ。いっぽう私は席には座らず、運転席横で前方をかぶりつく事にします。座っていてもなんだか落ち着かなくって・・・。
金木の次駅は歩こうとした芦野公園駅。
ここは春の桜が有名な駅で、
満開期はまさに桜のトンネルになるのだという。
最近では吉永小百合さんを起用したポスターの舞台として
覚えのある方も多いはず。
終点まであと四つ・・・。
12.10.26 津軽鉄道 芦野公園付近(車窓から)
次の川倉は田んぼの真ん中に立つような小さな駅。
まわりに何も無いような駅ですが、
このあたりは地面に積もった雪が強風で舞い上がる
津軽名物の「地吹雪」がすごくて、
「地吹雪体験ツアー」なども行われているらしい。
終点まであと三つ・・・。
12.10.26 津軽鉄道 川倉付近(車窓から)
川倉から大沢内にかけての広大な田園地帯では、
車窓から岩木山がキレイに見えました。
奥羽線や五能線の車窓からとは、また違った景色です。
12.10.26 津軽鉄道 川倉-大沢内(車窓から)
大沢内はかつて交換設備があった駅で
その頃は有人駅だったそうな。
現在の津鉄は五所川原、金木、津軽中里のみが有人駅
(津軽中里は委託)。
終点まであと二つ・・・。
12.10.26 津軽鉄道 大沢内付近(車窓から)
そして次の駅は「ふこうだ」。
不幸だ・・・ではなく「深郷田」と書きます。
なかなか面白い「珍駅名」ですね。(^^)
終点まであと・・・一つ!
12.10.26 津軽鉄道 深郷田(車窓から)
前方から撮った駅への進入を見ても解るように、途中から乗ってくる客は無く、また降りる客もいない。乗客は入れ替わる事無く四人のまま、最後の中間駅である深郷田(ふこうだ)を発車。車内には次が終点の津軽中里である事を知らせるアナウンスが流れます。力行で唸りをあげていたエンジンが静かになり、あとは惰性で走るのみ。カーブを横切ると、まもなく前方には津軽中里のホームが・・・さらにその先には行き止まりを表す、無粋なコンクリートの高い壁が見えてきました。やがて惰性で走っていた列車には、運転士の手によりブレーキがかかりはじめます。
しばらくのどかな田園風景が続いていた車窓でしたが、
終着が近づくに連れ、集落の家々が見えてくるようになりました。
新しい家が立ち並んでいるのは、ちょっと意外(公営住宅らしい)。
12.10.26 津軽鉄道 深郷田-津軽中里(車窓から)
津軽中里のホームへ、ゆっくりと進入・・・(゚∀゚*)ドキドキ
まもなく、私の乗り潰し旅が終わります。
12.10.26 津軽鉄道 津軽中里付近(車窓から)
列車は静かに、そして確実に津軽中里のホームへと停車。運転席脇の降車口が開かれます。ここで、前を眺めていた私は当然一番先に降りる事となり、思い切ってポンっと車内からホームへひとまたぎ。この瞬間、現在旅客営業されている普通鉄道路線は鋼索線(ケーブルカー)を除き、すべて完乗です! \(^O^)/バンザーイ♪
終点の津軽中里に到着~!
金木からわずか7.9キロ、17分の道のりでしたが、
とても長く感じた乗車時間でした。
12.10.26 津軽鉄道 津軽中里
金木1440-(103列車)-津軽中里1457
ここが津軽鉄道の終端部。
建設当初は津軽半島北部の小泊まで
行く計画があったとのことですが、
途中で資金が底をついて、挫折したらしい・・・。
津軽中里の駅舎。
地元スーパーに併設されたような形で
ちょっと趣きに欠けますが、
ここは「民鉄最北端」の駅です。
終端部や駅舎を写真に撮っていると、そこへ先ほどのアテンダントさんが出てきて、こちらへと近づいてきます(上写真の右端にお姿が・・・^^)。何か忘れ物でもしたかな・・・?と思いきや、「よかったらこれをどうぞ 」と一枚のカードを手渡してくれました。それはこの日の日付が入った「(民鉄)最北端証明書」。なんと、わざわざそれを手渡しに来てくれたのです!これには本当に嬉しくて大感激・・・゚+。*・。゚(゚ノ∀`゚)゚。・*。+゚。車内でお話ししたときに、彼女は「なーんも無い線ですよ」などと言っていましたが、ここには他の鉄道路線以上の人の温かさと優しさが感じられ、最後の一線がこの津軽鉄道であった事をあらためて嬉しく思いました(カードをもらったからではなく、本当にどの方も笑顔で、親切でした)。と、同時に今までずっと乗らずに放置していた事も後悔。今度はぜひ「ストーブ列車」などの乗り鉄、撮り鉄で、近いうちに必ず再訪する事を心に決めました。
アテンダントさんからいただいた「最北端証明書」のカード。
手前は降車の際に記念にもらった金木からの乗車券と、
津軽中里で買った硬券入場券です。
どちらも日付や駅名が入っていて、とてもいい記念になりました。
津軽中里からは乗ってきた列車の折り返しへそのまま乗り、五所川原に戻ります。もちろんこの列車のアテンダントさんも先ほどの方で、「乗り終えて、今は感無量ですか? 今夜はケーキを食べないとね~☆」と、お茶目なひと言。でも実際のところ、感無量かと言われると・・・案外そうでもなかった。まだ実感が沸かないとかそういうものでもない。やはり最後の一線に乗るまで間を空けすぎてしまったせいか、ひと頃よりも完乗熱が冷めてしまったのかも知れません。乗り終えた正直な感想は「ま、こんなもんか」といったところ。ホント、曖昧な感想でスミマセン。m(_ _)m
津軽中里1520-(104列車)-津軽五所川原1605
五所川原で五能線の弘前行きへ乗り換え。
右奥には中里から乗ってきた津鉄の姿が見えます。
12.10.26 五能線 五所川原
さて、今宵の宿は弘前に取ってあります。五能線の下り列車(川部方面)は、ほとんどが奥羽線へ直通する弘前行きなので、五所川原からは乗り換え無しで行く事ができて好都合。しかし私は朝と同様に五能線と奥羽線の接続駅である川部で下車してしまいました。それはなぜかというと、実はこの日の奥羽線には24系客車(ブルートレイン)を使用した団体臨時列車が設定されているのです。しかも私が五所川原から乗ってきた弘前行き(831D)のわずか5分続行と言うスジ。5分では沿線の撮影地へは行けませんが、川部のホームでなら撮ることができそうです。しかし時刻は午後5時近くで、すでに日没。かろうじて明るさが残るものの、かなり厳しい状況。
青森区の138号機に牽引されたブルトレ団臨。
この列車はこれから、はるばる大阪まで走ります。
12.10.26 奥羽本線 川部
川部の下り方は単線だった事もあって、ゆっくりとした速度で通過したブルトレ団臨。ズームリングを回しながらなんとか写し止めることができました。パンタが思いっきり串刺しだけれど、オマケのような撮影だったので、撮れただけでもヨシとしましょう。ブルトレ団臨の後を追うように次の普通列車で弘前へ向かい、津軽鉄道で全線完乗を果した、忘れられない一日が終わりました。
夕暮れに浮かび上がる、岩木山のシルエット。
この日は一日中「乗り鉄」でしたが、ずっといいお天気に恵まれました。
撮り鉄メインとなる、翌日も晴れるといいけれど・・・。
12.10.26 奥羽本線 川部-撫牛子(車窓から)
とっぷりと日が暮れた頃、弘前に到着。
金木や中里から来ると、弘前が大都市に見えます(^^;)
12.10.26 奥羽本線 弘前
五所川原1611-(五能831D)-川部1645~1708-(奥羽668M)-弘前1716
アテンダントさんは「ケーキでお祝い」と言っていたけれど、
やっぱり私はお酒で祝杯~ ロ\(゜▽゜*)♪ カンパーイ!
旬の秋刀魚で、弘前の酒・豊盃「ん」をいただきます。
少し辛口でスッキリした味わいは刺身に合います。
・・・続きます。
青森2012 その2・・・弘南鉄道 撮影記
10月末に行った、青森の鉄道旅。前回からの続きです。
二泊三日の初日は、長年ずっと未乗車のまま残していた津軽鉄道を終点の津軽中里まで乗車。これで日本の鉄道は、鋼索線(ケーブルカー)を除く全線の完全乗車を果たすことができ、その晩は宿泊地となる弘前で一人ささやかに祝杯を挙げたのでした。そして迎えた翌二日目、この日も朝から行動開始です。
10月27日(土)
まず向かうのは、弘南鉄道・大鰐線の中央弘前駅。私が泊まったホテルはJR弘前駅のまん前にあり、そこからこの中央弘前駅へは徒歩15~20分ほど。朝からなかなかいい運動になります。
前夜は若い大将に勧められるがままに津軽の地酒をけっこう飲んだハズ(うろおぼえ・・・?)で、朝まで体に酒が残っているようならばタクシー移動なんて言うことも考えていたのですが、全然大丈夫。いい酒は二日酔いにならない(なりにくい)と言うけれど、これは本当のことですね。
JR弘前駅よりも弘前の繁華街に程近い中央弘前駅。早朝でまだシャッターの開いていないメインストリート(土手町通り)を抜けて、一本裏手へと入ると、こんなところに駅があるのかと思うようなところに、それはひっそりと佇んでいました。
路地裏にあって、思わず見逃してしまいそうな、
弘南鉄道・大鰐線のターミナル、中央弘前駅。
駅を出て右手、写真の左側に見えるのは、
1920年(大正9年)に建てられたゴシック様式の
「弘前昇天教会」で県指定文化財。
ただし、今(10/27)は修復作業中でした。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 中央弘前
ホームは市内を流れる土淵川沿いにあります。
ちょうど大鰐からの折り返し列車が到着したところ。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 中央弘前
弘南鉄道は、弘前を中心にして東へ伸びる弘南線(弘前~黒石)と南へ伸びる大鰐線(大鰐~中央弘前)の二路線を持つローカル私鉄(最近、この「ローカル私鉄紹介」から始まるネタが多いなぁ・・・^^;)。両線とも単線ながら直流電化されており、今はどちらも元・東急7000系(弘南でも形式は7000系)が主力車両として活躍しています。ちょっと面白いのはそのターミナル駅で、弘南線はJR駅に併設された弘前が、そして大鰐線のほうはこの中央弘前が始発(終着)駅となっており、同じ弘前市内を発着とするも、この両線はお互いに線路が繋がっていません。そして中央弘前まで歩いてきたことでお解りのように、今回乗車するのは大鰐線のほう。大鰐線はここ中央弘前から温泉で有名な大鰐までを結ぶ、全長13.9キロの路線(起点は大鰐)。この区間にはJRの奥羽本線も並行していて(大鰐温泉~弘前)、いわば競合区間。でもその性質から、競合というよりはJRの止まらないような小さな集落を大鰐線が保管しているような形で、弘前~大鰐の間をJRが二駅(11.8キロ)に対して、大鰐線のほうは実に13もの駅があります(共に弘前・中央弘前を除く)。そんな大鰐線が今回のターゲット・・・ではなく、実はこの日いちばんの狙いは他にあり、その撮影地へ向かうのに適していたのが大鰐線だったのです。なので今回のタイトルも、はじめは違うものを考えていました。
弘南鉄道の現主力は元・東急の7000系。
最近は本家の東急池上・多摩川線で登場当時に復刻した
7700系「クラシックスタイル」が話題となっていますが、
この弘南7000系は走行機器の更新(VVVF化)や冷房化が行われておらず、
前面にカラー帯が入っているものの、ひょっとしたらコチラの方が
「クラシック」よりも原形度合いが高いかもしれません。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 中央弘前
中央弘前を発車してから、しばらくは弘前の市街地を走る大鰐線の列車。弘高下(弘前高校下の意味)、弘前学院大前、聖愛中高前、義塾高校前と、駅名を見ても解るように沿線にいくつもの学校がある大鰐線の車内は、土曜にもかかわらず多くの学生でごった返しています。その学生の半分くらいが降りて車内が少し落ち着くころ、市街地を抜けた列車の車窓にはリンゴ畑が広がるようになってきました。前日に乗った五能線の沿線でもそうでしたが、今の津軽地方はちょうどリンゴの収穫期で、たくさんの赤い実をつけた木々が車窓に流れてゆきます。さらにその向こうには岩木山の雄大な姿が・・・これぞまさに津軽の景色だなぁ~(´▽`)(ぼ~っと眺めていて、車窓の写真を撮り忘れちゃったケド)。列車はリンゴ畑の中を突き進むように走り、並行する奥羽線をオーバークロスすると、まもなく下車駅の石川。
途中、津軽大沢の車庫で見かけたのは、
元・東急6000系(゚∀゚)!!(左の二本)
現在この6000系は予備車扱いで定期運用はほとんど入らないそうですが、
イベントなどで走行する機会があるのだとか。
帯が外されて東急時代を髣髴とさせる懐かしい姿が復元された6000系。
一度は走っているところを見てみたいものです。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢(車窓から)
中央弘前0730-(大鰐線6列車)-石川0751
大鰐線の石川駅。
並行する奥羽線にも近くに同駅名がありますが、
両駅間は少し離れていて、乗換駅ではありません
(JRの石川へは大鰐線の義塾高校前の方が近い)。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 石川
駅に掲げられている、
弘南名物(?)の、ちょっと怖い注意看板。
ゾッとするけれど、インパクトはじゅうぶん・・・
((゚Д゚;)))ブルブル。
石川駅の前からは岩木山がきれいに拝めました。
う~ん、今日も快晴!
大鰐線を降り、石川駅から10分ほど歩いてやってきたのは、小高い丘の上にある「大仏公園」。大仏公園といっても園内に大仏があるわけではないみたいですが(公園の近くに大仏院はあるけれど、大仏が公開されているのかは不明)、ここの見晴台は奥羽線の線路が俯瞰で一望できる有名な「お立ち台」ポイント。残念ながら望めるのは南側の景色のみで、きれいに見えていた岩木山を絡めて撮ることはできませんが、近年では貴重となったブルートレイン(寝台特急)の「あけぼの」、「日本海(現在は臨時列車)」の撮影地として注目度が高まっている場所です。かくいう私もここを訪れた狙いは「あけぼの」の撮影。やはり北東北へ来たのなら、この列車の撮影は欠かせません。公園内の丘を上りきった先がお立ち台で、そこには一名の先客がいらっしゃいました。挨拶を交わすと、「やっぱり485系狙いですか?」という思いがけない一言。え?ヨンパゴ??('.')ハテ? その同業者さんによると、この日は直江津から弘前まで新潟の485系による団体臨時列車が設定されていて、まもなく通過するとのこと。恥ずかしながら私はまったくノーマークだったのですが、鉄道雑誌(DJ誌)にもちゃんと記載されており、しかもその編成は「国鉄色」と記されています エエッ!(゚∀゚ )マジ!? まさかここで国鉄色485系が撮れるとは、これぞまさに「棚からぼた餅」(・・・というより、いかにチェックが甘いかということか)。ところが、現れたのは・・・
色づき始めた里山の木々を背景に走り行くのは、
爽やかな色の485系3000番台・・・。
12.10.27 奥羽本線 大鰐温泉-石川
あれ? たしかに485系だけれども・・・国鉄色ではなく北越色(上沼垂色)の3000番台(R編成)でした。思わず無言のまま同業者さんと顔を見合わせてしまいます (・ω・ )…。残念ながら、どうも編成の変更があったみたい。まあ、元々ノーマークだったので3000番台でも撮れただけラッキーだと思うべきなのですが、ちょっと肩透かしを食らった気分です・・・ε=(‐ω‐;)。それにしても気になるのは、列車の足回り。ススキの群生でほとんど隠れちゃっています。この撮影地に着いて最初にやってきた列車がこの485系だったこともあって、とりあえず撮ってみましたが、やはり思っていたよりもかなりススキがウルサイ。秋の風物詩とはいえ、何とかならないかなぁ・・・。
続いては、石川(JR駅)で485系と交換してきた
臨時快速「森吉山麓紅葉号」
弘前~角館を秋田内陸縦貫鉄道経由で走るこの列車には、
同鉄道のAN8900形「もりよし」が使用されています。
12.10.27 奥羽本線 大鰐温泉-石川(後追い)
逆方向からすぐにやってくる「森吉山麓紅葉号」まで撮って(コレもノーマークで同業者さんに教えてもらっちった^^;)、アングルを変更。このお立ち台はもう少し上まで上がることができます。高さを稼げば足回りがスッキリ抜けるかも。
山(公園)のてっぺん付近から撮るとこんな感じ。
たしかにてっぺん付近まで上がると、なんとかススキをかわせるようにはなりますが、先ほどよりも角度が正面気味になってしまいました。まっすぐ伸びる線路が見渡せるのはなかなか豪快だけれども、なるべくならブルートレインはサイドからの編成美を見せたいもの・・・。でも低めのサイドからはススキがウザイ・・・悩んだ挙句、ここははじめに撮った場所とてっぺんの中間に位置する、いわば「中段」で落ち着くこととしました。どっちつかずの真ん中は、時に両方の欠点を拾ってしまうこともありますが、果たしてどうなるか・・・。列車の本数が少なくて試し撮りができないまま、やがて赤い機関車に牽かれたブルートレインの姿が見えてきました。
東京・上野から一晩かけて走り続けた「あけぼの」を
津軽ののどかな景色が出迎えます。
「ふるさと行きのブルートレイン」、
願わくば、いつまでも走り続けてほしいものです・・・。
12.10.27 奥羽本線 大鰐温泉-石川
なるべく手前まで引き付け、機関車のフィルターがキラッと反射したところを撮影。ああ、やっぱり編成の長いブルートレインは俯瞰から撮ると絵になりますね~.。゜+.(´▽`)。+.゜。結局、足回りのススキはウマくかわせなかったけれど、この雄大な撮影地で「あけぼの」を撮ることができたので、じゅうぶんに満足のいく結果になりました。
さて、このあと当初の予定では、ひょっとしたら貨物列車の一本くらいやってくるかもしれないと、しばらくこの大仏公園での奥羽線撮影を続けるつもりでした。しかし貨物オンチで通過時刻などまったく解らない私にとっては、アテのない貨物などまさに雲をつかむようなもの(いちおう調べたら10時半頃に下りが一本あるらしいのだけれど)。それよりも、もっと撮りたいと思わせる列車・・・というより、情景が先ほど目に留まりました。それは行きに石川まで乗ってきた弘南鉄道・大鰐線の車窓から見えたリンゴ畑。ちょうど収穫期で赤い実をつけたリンゴを撮れるのは今の時期だけで、まさに津軽の秋の風物詩。せっかくこのタイミングで津軽にいるのならば、リンゴ畑のなかを行く大鰐線の写真が撮りたい。そしてできればその背景に名峰・岩木山なども入ったら最高・・・などと思ったのです。そこで予定を変更。貨物を待たずに大仏公園を後にして、大鰐線沿いを歩いてみることに。
リンゴ畑へ着く前に、大鰐線の列車が走ってきてしまいました。
とりあえず岩木山バック・・・のつもりで撮ってはみたものの、
思ったよりも車体で山が隠れちゃった・・・(^^;)
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 石川-石川プール前(後追い)
道沿いにはリンゴ畑が広がります。赤い実がいっぱ~い!
こんな景色の中を歩くと、ちょっと幸せな気分になるのは何でだろう。
石川から弘前方向へ進むと、すぐに車窓から見えていた広いリンゴ畑へ出ることができました。その向こうには岩木山の姿も見えます。ここはまさに理想の場所・・・かと思いきや、実際にリンゴ畑へと近づくと、その木の高さによって線路も岩木山も見えなくなってしまいました。畑から離れれば岩木山も線路も見えるけど、リンゴの木は小さくなって赤い実が目立たない。さらに、畑の脇にある踏切からはリンゴと列車のコラボは撮れるけれど岩木山は入らない。線路にかぶりついた正面気味からだと列車の背景に岩木山は入るけれど、今度はリンゴが入らない・・・など、どこも一長一短。う~む、悩ましい・・・(´~`;)。いろいろ模索するも、アングルがウマくまとまらず、そうこうしているうちに列車の通過時刻が近づいてきてしまいました。日中の大鰐線は上下一時間に一本ずつ。決して本数は多くなく、時間に限りもあることから、一本でも無駄にはできません。ここはもう自分なりにひとつの結論を出しました。リンゴ、岩木山、列車の三種をムリに入れようと欲張るから、画がまとまらないのだ。鉄道写真である以上、列車はハズせないにしても、あとはリンゴか岩木山のどちらかを選んだ方がいいのではないか・・・と。妥協ともいえる見解ですが、まず一本目はこんなアングルで撮ってみました。
津軽のシンボル・岩木山に見守られて走る、大鰐線の7000系。
7000系にはこの赤帯と、朝に乗った青帯があるようです。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 義塾高校前-石川
青空広がる快晴のもとキレイな光線に恵まれて、岩木山がクッキリ、ステンレスの7000系はギラリ。リンゴは入らなかったけれど、これはこれでいい感じにまとまりました。ちなみに左下に見える濃い緑の木々はリンゴ。でもこの辺はもう収穫が終わっちゃったのか、実はほとんどありませんでした。ここに実がなっていれば「三点セット」が撮れたのに・・・でもリンゴが目立たないか。
とりあえず一本目は岩木山バックだったので、続いて逆方向から来る二本目はリンゴの木と絡めてみたいと思います。でも花と違って下にぶら下がる木の実を撮るって、案外難しいものなんですよね。畑の中から撮れば良さそうだけど、無断で入ることはできないし・・・。どこかいい場所はないものかと農道をふらふらしていると、ちょうど収穫作業をされていたお婆さんと目が合い、「あんだ~、どっがらぎたの(どこから来たの)?」と声をかけられました。そこで「東京から写真を撮りに」と応えると、さらに「東京から!?そ~れはまた、θ%ΛR★%$#&E$”・・・だわ~」との返し。・・・うぐっ、なまりが強くて途中から何を話しているのかサッパリ解らなくなってきてしまいました(・。・;)。方言の中でもとくにこの津軽地方のお年寄りが話す津軽弁はなまりが強いようです。とりあえず「う、うん・・・」と曖昧な相槌を打つも、話す内容の半分も理解できません。しかも列車の通過時刻が迫ってきているのに一向に話がやまない(なぜかマゴの話に・・・)。いや、でも待てよ、この出会いは千載一遇のチャンスかも。そこでためしに「リンゴ畑の中で写真を撮ってもいい?」と婆ちゃんにきいてみました。すると「いいよ、いいよ」との嬉しいお言葉。畑の中に入れるのならばアングルに幅が広がります。でもあまり場所を選んでいる余裕はなく(ハナシ長いんだもん・・・(´∀`;))、踏切はすぐに鳴り出しました。とにかくここは列車よりもリンゴを主にして、カメラを構えることに。
リンゴを大きく入れて、踏切を行く列車をサイドから。
丹精こめて作られた真っ赤なリンゴの実が、
秋の大鰐線沿線を彩ります。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 石川-義塾高校前
やっぱり脇の沿道からとは全く違う目線で見ることができ、リンゴ畑の中を行く大鰐線らしい一枚が撮れました~\(*^▽^*)/。ホント、協力してくれた婆ちゃんには感謝です。撮影後、その婆ちゃんにお礼を言って立ち去ろうとすると、「リンゴ食べるか?二~三個持ってきな。」と言って、何と大きなリンゴを差し出してくれるではありませんか!
獲れたてのリンゴをもらっちゃいました~!!
畑の中で撮影をさせてもらったのに、さらにリンゴまでもらっちゃって・・・あつかましいけれど、これは嬉しくて大感激・゚+。*・。゚(゚´∀`゚)゚。・*。+゚。。とくにこの日は朝食を食べ損なっていたので、オナカが空いていたんですよね~。さっそく袖口できゅきゅっと拭き、その場でカプリと丸かじり。う~ん甘い!みずみずしい!シソーノーローじゃなくてよかった・・・(^皿^)。
時間的には上下もう一本ずつの列車が撮影できそうなので、婆ちゃんに再度お礼を言ってから、さらに少し先へと進みます。先ほどのリンゴ畑もいいアングルでしたが、欲を言えばもう少し列車が大きく入るところを探したい。ひょっとしたらこの先にリンゴ、岩木山、列車の三点が入るところがあるかもしれないし・・・。こういう撮影地探しは、案外楽しいもの。
歩き続けていると、
やがてリンゴ畑の中にぽつんと佇む
義塾高校前駅が見えてきました。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 義塾高校前
しかし石川から義塾高校前までの一駅間を歩いてきたものの、やはり「三点セット」をまとめるのは難しく、唯一みつけた三点が入る場所は、ちょうど線路が建物の影(朝なら撮れたかも)。ここでも岩木山かリンゴ畑のどちらかといった場所しか探せないうちに、次の列車が通過する時刻が近づいてきます。結局、今回も「三点セット」は諦めて、まずは先ほど同様に岩木山アングルから撮影。
岩木山をバックに築堤を行く赤帯の7000系。
日が高くなるにつれて少し霞んできましたが、
それでも均整の取れた美しい山容を見せてくれました。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢-義塾高校前(後追い)
順光で捕らえた岩木山と7000系。これも弘南鉄道らしい画になりましたが、オーソドックスでちょっとまとまりすぎる感じがしないでもありません。余裕があればもう少し工夫したかったところかな・・・。ちなみにカメラを構えて列車を待っていたら、今度はお爺さんが話しかけてきて、「ここから見る岩木山はキレイだけれど、電車(の架線や架線柱)が邪魔なんだよね(みたいな話を津軽弁で)」と言っておられました。でも私の場合、画の中にその電車がないと困っちゃうわけでして・・・(^^;)。それにしてもこの辺の方は本当によく声をかけてくださって、いい意味での人懐っこさを感じます。学生さんなども目が合うと必ず挨拶してくれるし。
さて、次はリンゴアングル。先ほどのこともあり、やはり沿道からよりも畑の中から撮りたいところ。そこで今度はこちらから、収穫作業されているおじさんに声をかけてみました。すると快く畑での撮影OKの返事。ここの畑は線路のすぐそばまで実のなった木がたくさんあり、迫力あるいい画が撮れそう。今度は慎重にアングルを決めて列車の通過に備えます。
たわわに実ったリンゴをかすめて走る青帯の7000系。
リンゴの収穫を終えると、津軽はまもなく厳しい冬の到来です。
12.10.27 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢-義塾高校前
リンゴ畑を行く7000系。ここでは列車を正面気味に置くことができ、まさに狙い通りの写真が撮れました~ヾ(≧∇≦*)〃。同じ地区で栽培されているリンゴでも、先ほどの畑のものよりこちらの方がちょっと淡い色をしています。でも収穫を進めているところをみると、まだ熟れていないわけでは無さそう。品種が違うのかな・・・?リンゴも注意深く見るとなかなか面白いものです。そしてここでも帰り際におじさんからリンゴをいただいちゃいました! もう、カメラバックの中がリンゴだらけです(笑)。みなさん、本当に親切にしてもらってありがとうございました。初日の津軽鉄道に続き、またも人の温かさに触れた弘南鉄道の撮影。本来、二日目の午前中は「あけぼの」撮影をメインに考えていたのに、終わってみれば大鰐線のほうがずっと楽しくて、深く印象に残りました。なので今回のタイトルは「あけぼの 撮影記」ではなく「大鰐線 撮影記」となったのです。
さて、この日の午後は別路線で撮影する予定なので、名残惜しいけれど午前中で大鰐線撮影を切り上げます。最後に訪れた撮影地(リンゴ畑)は義塾高校前が最寄り駅なのですが、私は大鰐線を離れてJRの石川へ。ここから奥羽線に乗って移動します。
大鰐温泉と弘前のあいだにある奥羽線の中間駅、石川。
先に述べたように大鰐線の石川とは離れています。
12.10.27 奥羽本線 石川
石川から701系の普通列車に乗り込みます。
次に向かうのは・・・?
12.10.27 奥羽本線 石川
・・・続きます。
青森2012 その3・・・旧・南部縦貫鉄道「夕暮れ撮影会」撮影記
10月末に行った、二泊三日の青森・鉄道旅。前回からの続きです。
弘前で迎えた二日目(10/27・土)は「撮り鉄」がメイン。まずは朝から弘南鉄道・大鰐線に乗って撮影地へ向かい、奥羽本線を走るブルートレイン「あけぼの」やリンゴ畑のなかを行く大鰐線などを撮影。ちょっとした地元の方との交流もあり、まさに「実りある」有意義な時間を過ごす事ができました。その後、奥羽線の石川から青森行きの下り普通列車に乗り、私が次に向かったのは東北新幹線との接続駅である新青森。
石川1116-(奥羽647M)-新青森1211
前日にも乗り換えで降りた
東北新幹線と奥羽線の接続駅、新青森。
ガラス越しにはホームに停車している
E2系新幹線の姿が見えます。
12.12.27 奥羽本線 新青森
津軽線や海峡線、青い森鉄道が接続する青森ならまだしも新青森なんかで下車するとは、もう東北新幹線に乗って東京へ帰ってしてしまうのか? ・・・と、思われるかもしれませんが、そうではありません。実はコレから行く目的地へは列車ではなくバスを利用する事になり、そのバスが新青森駅前から出ているのです。そしてその目的地と言うのが七戸駅。東北新幹線の「七戸十和田」駅ではなく、南部縦貫鉄道の「七戸」駅です。本来、目的地が鉄道の駅ならばその鉄道を利用するべきなのですが、この南部縦貫鉄道はすでに廃線となった過去の路線。もう乗る事は叶わないのです・・・。おそらく私と同世代以上の鉄ならば、この南部縦貫という路線名を聞いて懐かしいと感じ、さらにはパッと「アノ車両」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
南部縦貫鉄道と言えば、そう、この車両・・・。
95.3.12 南部縦貫鉄道 七戸
かつて青森県東部・上北郡にあった南部縦貫鉄道は、東北本線(現・青い森鉄道)の野辺地から内陸部の七戸までを結んでいた全長20.9キロ、非電化・単線のローカル私鉄。1961年(昭和36年)の開業当初は貨物輸送に期待がかかるも、製鉄所の閉鎖や計画倒れ、さらにはトラック輸送への移行などにより貨物は廃止されて経営難に。沿線はもともと住民の少ない地域で旅客輸送は見込めず、並行する国道にはバスが走っている事から、常に廃線が取りざたされていました。それでも南部縦貫が維持されていたのは、東北新幹線青森延長の際に七戸駅が設置される予定があり、新幹線アクセスにわずかな望みを託していたからでした。晩年はローカル線ブームなどで鉄道ファンが注目。とくにこの路線を走っていたのはただのディーゼルカーではなく、車体の小さな「レールバス」であったことから、その貴重な車両をお目当てに全国から多くのファンが集まりました。
野辺地付近を行く「レールバス」ことキハ10形(キハ102)。
95.3.12 南部縦貫鉄道 野辺地
しかし、東北新幹線の青森延伸は方向転換や見直しなどで計画よりも大幅に遅れ、ついに南部縦貫鉄道は力尽きて97年5月に運転休止、そして02年8月には正式に廃止となってしまいました(野辺地~西千曳の「路線借用・返却問題」は歴史や経緯などを書くと長くなるので割愛)。その後、東北新幹線が新青森延伸を果して途中駅の七戸十和田が開業したのは、一昨年(10年)12月。南部縦貫の休止から13年、廃止から8年目の事でした。
そんな南部縦貫鉄道へ私が乗ったのは今から17年前、95年3月の一度きり。しかも乗り潰し目的で野辺地から七戸までの片道を乗っただけです。終点が行き止まりの盲腸線なのに往復ではなく片道だけの乗車だったのは、南部縦貫を七戸まで乗ったあと、バスで十和田観光電鉄の十和田市へ出てしまったため。当時、この南部縦貫から十和田観光へ(またはその逆へ)抜けるのは乗り潰しの定番ルートでした。その十和田観光電鉄も今年の春に廃線となってしまったのは記憶に新しいところ。たった一度の片道乗車のみだった南部縦貫へは廃止前にもう一度くらい訪れたかったところですが、休止が発表された頃にはファンが一気に押し寄せ、休日ともなれば小さなレールバスは大混雑。とても再訪する気にはならなかったのです。でも今思えば、もっと沿線などでの写真を撮っておくべきだったなぁ・・・と後悔しています。結局私が残せたレールバスの写真は駅撮り程度でしたし。
野辺地から七戸までを乗り潰し、
七戸のホームで撮った「レールバス」。
このときの乗客は片手で数えられるほどだったと
記憶しています。
95.3.12 南部縦貫鉄道 七戸
さて閑話休題。私は乗り鉄、撮り鉄の趣味はあるものの、廃線跡巡りはあまりしません。ではなぜ今さら廃線となった南部縦貫鉄道の七戸へ、バスで目指す事になったのか。実は南部縦貫で活躍していたレールバスなどの車両たちは現在、旧・七戸駅構内で動態保存されており、定期的に一般公開や乗車体験(七戸駅構内の走行のみ)が行われているのです。廃線跡でも草むらを掻き分けて歩くようなのは気が進まないけれど、あのレールバスが見られるのならば話は別。しかもこの日は年に一度の「夕暮れ撮影会」で、そもそも今回の青森遠征はこのイベントへの参加が第一の目的で計画したものでした。しかし、旧・七戸駅は現在の七戸十和田駅とは少し離れた場所にあります。ではどうやって行ったらいいのかしらん・・・と、調べたところ、この新青森からのバスが行き方のひとつに記されていたのです。ホントは在りし日の南部縦貫に思いを馳せて、野辺地からのバスを利用しようかとも考えたのですが、バスの本数が少なくて時間的にちょっと難しかった。
新青森から七戸を経由して十和田市へ向かう
十和田観光電鉄バス。
このバスはバイパスの「みちのく有料道路」を通るため、
南部縦貫鉄道の始発駅だった野辺地は通りません。
12.10.27 十和田観光電鉄バス 新青森駅西口
鉄道と違ってバスの場合、なんとなく目的地に着けるのかどうか不安なところがあり、いちおうバスの運転士に「七戸へは行きますか?」と確認してから乗車。ちょうど紅葉が見頃を迎えている十和田湖行きのバス停には新幹線から流れてきた客が行列を作っていますが、こちらの十和田市行きは四、五人ほどの客を乗せて発車。一見して同業者らしき人は一人だけでした。バスは青森市内を抜けてバイパスの「みちのく有料道路」へと入り、新青森から一時間半ほどで七戸へ。
七戸が近づいてくると、
坪や中野、天間林など南部縦貫の駅名にもあった、
懐かしい地名が現れます。
坪は野辺地と七戸のちょうど中間あたりにあった駅。
七戸案内所でバスを降ります。
案内所って何?と思っていましたが、要はバスターミナル。
12.10.27 十和田観光電鉄バス 七戸案内所
新青森駅西口1259-(十和田観光電鉄バス)-七戸案内所1445
七戸のメインバスターミナルである七戸案内所で下車。たぶん17年前はここから十和田市へと向かうバスに乗ったのだと思いますが・・・まったく覚えがありません (-ω-)ゞヴーン…。それとも当時は七戸駅から直接バスが出ていたのかな・・・? ともかく七戸の名が付くバス停には着いたけれど、旧・七戸駅の場所が解らない。でも、先ほどのバスに乗り合わせた方は場所を知っているらしく、迷わずにスタスタ歩いてゆきます。これは心強いとばかりに、私はその後をヘコヘコ付いてゆく事に 。(・ω・。*)))))ヘコヘコ... 。まあ、こんな町で大きな三脚を担いでいるのですから、同業者と見てまず間違いないでしょう。思惑通り10分ほど歩いたところに、旧・七戸駅はありました。
南部縦貫鉄道廃止後も変わらぬ姿で佇む、旧・七戸駅。
現在は南部縦貫株式会社と言うタクシー事業(縦貫タクシー)の
本社として稼働しています。
12.10.27 旧・南部縦貫鉄道 七戸
駅舎内には当時使われていた標識や通票閉塞機
さらには手書きながら当時の時刻表が展示されています。
列車の運転本数は一日五往復でした。
12.10.27 旧・南部縦貫鉄道 七戸
そのコンクリート製の駅舎には確かに見覚えがあり、思わず懐かしさが込み上げてきます。17年前に訪れた時は雪が積もっていて、待合室にはストーブが置かれていたっけ・・・。そんな事を思い出しながら「見学受付」と書かれた駅舎内へ入ります。しかし、とくに何か手続きをする事は無く「そのまま、会場へどうぞ」と言われ、待合室を抜けてかつてのホームへ。そこで待っていたのは、もちろんあのレールバス!
17年ぶりにレールバスとご対面!(≧ω≦。)ジーン…。
見た目は変わらないけれど、左がキハ101で、右がキハ102。
今年は1962年の開業からちょうど50周年で、
両者には新規に制作されたヘッドマークが掲げられていました。
12.10.27 旧・南部縦貫鉄道 七戸
ちゃんとエンジンがかけられ、ライトを点灯させた状態のレールバス。まるで現役さながらの光景です。レールバスことキハ10形は開業当初からキハ101と102の二台体勢で活躍し続け、現在もそのまま二台とも動態保存されています。近年は、非電化ローカル線で広く活躍する小型の軽快気動車を「レールバス・タイプ」と呼び、弊ブログでも最近はひたちなか海浜鉄道の3710形や津軽鉄道の津軽21形などを「レールバス・タイプ」として紹介してきましたが、軽快気動車はあくまでも扉やサッシ、空調設備などの内装にバスとの共通部品が使われているだけで、構造的にはれっきとした鉄道車両(鉄道車両工法)。しかしこの南部縦貫のレールバスは、バスの車体、構造、部品を多用したバス工法で製造された車両で、最大の特徴は機械式変速機を搭載し、まるでマニュアルのクルマのようなクラッチとシフトレバーを操作しながら運転するところにあります。言うなればまさに車輪をはいたバス。だから「レールバス」なのです。ちなみに製造元はバスの製造で定評のあった「富士重工・宇都宮製作所(1962年製)」。保存車ながら現在も動態で残っているレールバスはこの南部縦貫の二両のみで、本当に貴重な存在と言えるでしょう。しかも一台のみならず二台同時に保存ってところが嬉しいですよね。さらに南部縦貫ではこのほかにも国鉄から譲渡された一般型気動車のキハ104(元・国鉄キハ10)や除雪用の小型ディーゼルも同じく動態保存されていますが、この日展示されていたのは二台のレールバスのみ。それでもこのレールバスがお目当てで来たのですから、じゅうぶんです。それではしばし、イベントの様子をご覧ください。
まずは両者の並びを楽しもう・・・と思っていた矢先、
左のキハ101がエンジンを震わせて動き出してしまいました。
あれ?ドコ行くの~?? ε~ε~┌(;´Д`)ノ マ、マッテェェェ
キハ101は機関庫前の側線から、旧・本線へと移動。
本線は七戸駅構内の約260メートルが残されていて、
動態保存の名の通り、運転実演が行われます。
分岐器と連動はしないものの、腕木式信号機も健在
(点灯はします)。
「プワーン」という汽笛ではなく、
「ビーーー」というクラクションのような警笛を鳴らし、
短い距離ながらも、力強い走りを見せるレールバス。
ヘッドマークを換えて、もう一往復。
傾きかけた西日がちょうどレールバスの正面を照らします。
ウーン(´▽`)カコイイ!
キハ101が運転実演を行っているいっぽう、
こちらはアイドリング状態で静かに佇むキハ102。
風になびく排気煙がイイ感じです。
慎重に平衡をとって、キハ102を真横から狙ってみました。
10.3メートルの短い車体、折り戸、バス窓、二軸式の車輪・・・
レールバスの特徴がよく解ります。
ちなみに、このクリームとオレンジのツートンカラーは
南部縦貫開業当初に出資していた
京成電鉄の赤電カラーを参考にしたものらしい。
なかなか面白い経緯ですね。
今度は逆光側から広角で。
こちら側には「鉄道むすめ」のマークが掲げられています。
鉄道むすめって現役路線じゃなくてもいるのね・・・(^^;)。
運転実演を終えたキハ101と
終始展示に徹したキハ102のツーショット。
この後キハ102は機関庫内へしまわれて、
キハ101は日没までホームへ据え付けられます。
対向ホームには大きなモミジの木があります。
ちょっと紅葉のピークには早かったけれど、
レールバスのいい引き立て役になってくれました。
ホームで扉を開き、発車を待つレールバス・・・の図。
前述したように私は下り列車の片道しか乗っていないので、
七戸からレールバスに乗り込む事はありませんでした・・・。
扉が開かれている間は車内が開放されています。
室内は両側にロングシートが並ぶ構造。
広角で撮っているので広いように見えますが、
実際はかなり狭いです。
簡素なレールバスの運転台。
バス構造と言っても鉄道なので当然ハンドルはなく、
手前の縦棒がマスコンレバー(アクセル)で右がブレーキ。
足下のペダルがクラッチです。
右脇にあるはずのシフトレバーは取り外されていました。
あれって着脱可能だったのですね。。。
日没直前にはヘッドマークが外されて、ノーマルな状態に。
夕日で赤く染まったレールバスが美しい・・・。
乗車体験こそ無かったものの、運転実演やヘッドマークを差し替えての撮影会、車内見学など、レールバスの魅力が存分に味わえるイベント内容。ファンの数も思っていたほど多くなく終始まったり状態だったし、何よりもこの日は本当にいいお天気に恵まれて最高の状態でレールバスを撮ることができました。もうこれだけでも大満足でオナカいっぱいなのですが、「夕暮れ撮影会」のお楽しみはまさにこれから。やがてレールバスを照らし続けていた太陽は、西の彼方へと沈んでゆきました。
日が沈み、あたりが薄暗くなると、
空にはハッキリとお月様の姿が見えるようになりました。
この日は旧暦の9月13日で、ちょうど十三夜です。
お月見というと旧暦8月15日の十五夜が有名ですが、
日本では古来から十三夜の月も美しいといわれ、
地域によっては十三夜にお月見やお祭りを
するところもあるのだそうです。
ブルートーンに包まれた七戸駅構内。
駅名板が照明によってライトアップされました。
なかなか心憎い演出です。
でも、ちょっとレールバスのヘッドライトが強いかな・・・。
今度はテールランプに切換え。
ホームに佇むレールバスには、コッチの方がイイ感じです。
まわりには何人ものファンが集まっていますが、
みなさん黙々と撮影に集中していて、
耳に入ってくるのはカメラのシャッター音と
レールバスのアイドル音、そして虫の鳴き声だけ。
せっかくの十三夜、
やっぱり名月を入れなきゃもったいない。
でもちょっと月が明るすぎたので、
雲がなびいてきたところでシャッターを切ってみました。
イイ感じになったかな?
レールバスは再びヘッドライトを点灯。
車内もホームを照らす電灯も暖かみのある白熱灯で、
とてもいい雰囲気を醸し出しています。
気がつけば、あたりはすっかり真っ暗になり、
闇に浮かび上がるレールバスとモミジの木。
紅葉には少し早いと感じていましたが、
こうやってみると緑から赤への移り際も
なかなか美しいものがあります。
10月終わりの青森、日没後はグッと冷え込んできます。それでも集まった人たちはほとんど帰ることなく、真っ暗になるまで思い思いのアングルで撮影を楽しんでいました。南部縦貫鉄道がその歩みを止めた運転休止から13年もの長い歳月が流れたにもかかわらず、今を持って美しい姿を保ち続けるレールバス。これもひとえに現・南部縦貫株式会社と南部縦貫レールバス愛好会の愛着とご尽力に他なりません。もうレールバスが本線上を走る姿は見られませんが、いつまでもこのようなイベントが開かれ、南部縦貫鉄道の存在を後生に語り継いでいって欲しいものです。
イベントへの参加は無料ですが、
やはりここはグッズ等の購入で
少しでもレールバスの保存・維持に貢献したいところ。
駅舎内で販売されていたオリジナルグッズの中で、
私が気に入ったのはこのシブい、社名入りのトートバック。
今では仕事で資料の持ち運びに重宝しています。
その他、硬券入場券なども購入してきました。
さて、イベントは午後6時半まで行われていますが、私はちょっと早めに撤収。というのも、十和田観光電鉄バスの青森行きは七戸案内所発18時18分が最終で、コレに乗り遅れるわけには行きません。駅舎内でグッズの販売をされていた愛好会の方々にご挨拶して駅舎の外へ。17年前にこの駅舎を出た時は、きっともう二度と来ることはないだろうと思っていたはず。しかし今回は、絶対にまた再訪しようと心に誓い、七戸駅を後にするのでした。
七戸案内所1818-(十和田観光電鉄バス)-青森駅1934
行きと同様にバイパス経由で、青森駅までは一時間半。
この日は青森に一泊します。
12.10.27 奥羽本線 青森
今宵は青森の地酒「田酒」をいただきます。
突き出しは和布蕪と、今年初物だというナマコ(左)。
体が冷えていたので温かいものが食べたいというと、
大将はカレイの一夜干しを焼いてくれました。
・・・もうちょっとだけ、続きます。
青森2012 その4・・・奥羽本線「あけぼの」撮影記
10月末に行った、二泊三日の青森・鉄道旅。前回からの続きです。
初日は津軽鉄道を乗り潰し。二日目は午前に寝台特急「あけぼの」と弘南鉄道・大鰐線の撮影、午後は日暮れまで旧・南部縦貫鉄道の「夕暮れ撮影会」に参加。まさに鉄道づくしの旅を満喫しています(^^)。そして最終日となる三日目の朝は青森で迎えました。
10月28日(日)
宿泊したホテルの朝食。
最近では珍しくビュッフェ方式ではなく、
個々のお盆に並べられたスタイルの朝食でした。
朝は軽めに・・・と思っても、
おいしいゴハンだと、ついつい食が進んじゃいます。。。
ふだんは朝早くから行動を開始することが多いため、ホテルではあまり朝食をとらない私ですが、この日の朝は珍しくしっかりゴハンです。実は今旅、青森駅近辺のビジネスホテルが軒並み満室で、宿の予約を取るにちょっと苦労しました。街中を見るかぎり祭りやイベントなどが行われている様子は無いのに、なぜそんなに宿が取れないのか? 十和田湖や八甲田山などの紅葉がピークを迎えた週末だからか? でも駅や街にはそれほど多くの観光客は見えない・・・。昨夜、そんなホテル事情を飲み屋の大将に話したところ、どうやら観光シーズンは旅行会社のツアーが一気にホテルの部屋を押さえてしまうらしい。旅行会社はとりあえず部屋を多めに確保しておいて、集客が見込めなかった場合はキャンセル料が発生しないギリギリの三日前などに開放するのだとか。なるほど、それでひと月前に探した青森のホテルは取りづらく、三日前に急遽宿泊を決めた初日の弘前は簡単に取れたのね。しかも大将曰く、ツアー客は観光地での食事込みなので青森の街には寝に来るだけ。ほとんど街にお金を落としてはいかない・・・ともボヤいていました。街中に観光客の姿が無いのに、ホテルは満室というのもこれで納得。そんななかで私はようやく青森駅から徒歩圏内で一軒のビジネスホテルを確保。でもここはいつも利用しているところよりも宿泊料がちょっとお高い・・・(´・ω・`)。そこでセコいけれど、この日は宿泊プランに組み込まれていた朝食をしっかりといただいたのでした。そのおかげで出発時間がギリギリに・・・慌ただしくチェックアウトをして青森駅へ ε=ε=ε=┌(; ̄▽ ̄)┘アセアセ
今や青森駅の定番構図とも言える、
ホームに停車中の列車と青森ベイブリッジ。
左の789系「白鳥」に乗って函館へ行きたいところですが、
私が乗るのは右の701系、奥羽線普通列車。
12.10.28 奥羽本線 青森
前日に続き、この日も奥羽線を走る、寝台特急「あけぼの」の撮影に向かいます。前々回にも書きましたが、今やブルトレは絶滅危惧列車。青森に来たならば、この「あけぼの」撮影はハズせません。さらにこの日は旅行初日に川部で上りを撮った24系の「ブルトレ団臨」も大阪から戻って来る予定で、こちらも合わせて狙いたいところ。初日、二日目とローカル私鉄を巡ってきましたが、この日は一日、奥羽本線で撮影するつもりです。でも不安なのはお天気。この日は前日までとは打って変わって、どんよりした曇り空となってしまいました。雨が降らなきゃいいけれど・・・。青森から奥羽線の普通列車で15分ほど(そのうち5分は新青森の停車時間だけど・・・^^;)、二つ目の津軽新城で下車。
青森0755-(奥羽642M)-津軽新城0809
所々改築されていますが、
津軽新城の駅舎は1894年(明治27年)の開業当時から
築100年以上の歴史を誇る木造駅舎です。
屋根の傾斜角がいかにも雪国らしいですね。
12.10.28 奥羽本線 津軽新城
駅からお目当ての撮影地までは距離にして1.5キロほどで、私の足ならば徒歩で20分といったところ。でも実はちょうど20分後に五能線へと直通する快速「リゾートしらかみ2号」が撮影地を通過するので、できればそれも撮りたい。カメラのセッティングやアングル決めなどを考えると、ほとんど余裕はありません。並行する県道にはバスも走っているのですが、いいタイミングのものは無く、少し早歩きで・・・いや、小走りで撮影地を目指します。ああ、朝食をたらふく食ったもんだから体が重い、横っ腹がイタイ・・・(´Д`;;)キッツー...。なんとか目的のポイントに辿り着いてカメラを取り出すと、すぐに踏切の鳴る音が聞こえてきました。
キハ48を改造した「リゾートしらかみ・橅(ブナ)編成」。
車窓から日本海の絶景を眺める「クルージングトレイン」ですが、
この日の天気はちょっと残念かも・・・。
12.10.28 奥羽本線 鶴ケ坂-津軽新城(後追い)
ギリギリ、「リゾートしらかみ」に間に合いました~ (;´∀`)=зホッ…。本命ではない列車ですが、こういう小ネタは撮れるときにしっかりと撮っておきたいものです。しかし、防寒性の高いヒートテックなんかを着て小走りしたもんですから、この季節にもかかわらず少し汗ばんでしまいました。ここは冷たい風が吹き抜ける跨線橋上、落ち着くと徐々に体が冷えてきます。こういう無茶な行動が体調を崩す原因になるんですよね・・・気をつけなきゃ。さて、この撮影地には「リゾートしらかみ」の通過後にお一方、さらにしばらくたってもう一方の同業者がやってきました。でもお二方とも、私の位置よりももっと正面気味に望遠レンズ(長タマ)で狙っています。今回の旅では荷物になるので長タマやテレコンを持ってきませんでしたが、ここは長タマで狙う方がキレイに撮れるのかな・・・?私は引き続きサイド寄りの定番構図で撮影。
今旅で何度も乗った701系の普通列車が
モーター音を唸らせてカッ飛ばしてゆきます。
12.10.28 奥羽本線 鶴ケ坂-津軽新城
相変わらず貨物に疎いワタクシ、
ボーッとしていたら逆方向からEF510の貨物がやってきました。
しかもよく見るとこのカマは、
サイドに「RED THUNDER」のロゴが無い
トップナンバーじゃありませんか! Σ(°д°;) ナニュ!?
通過が解っていれば跨線橋の逆で撮ったのになぁ・・・orz。
ここを走る定期普通(快速)列車は
701系だけかと思っていましたが、
キハ40+47の快速なんていうのもあるのですね。
時刻表を調べてみるとこの列車は、
五能線の深浦から川部を経て奥羽線に直通する
青森行きの快速「深浦」。
天気はドン雲りでスッキリしないものの、この撮影地は晴れると午前は逆光になるので、列車写真を撮る条件としては悪くありません。まあ、雨さえ降らなければ・・・と思っていたのですが、その願いはむなしく「あけぼの」通過の30分前頃から降り出してきた雨。時折小振りにはなってもやむ事は無く、傘を差しながら「あけぼの」を迎える事になってしまいました。ザー///Y_(´д`;)///ザー
小雨そぼ降る津軽路をゆく、ブルートレイン「あけぼの」。
幾度となく運転経路が変えられてきた「あけぼの」ですが、
昔も今も首都圏と津軽を結ぶ列車である事には変わりません。
しっとりとした雰囲気のなかで撮れた「あけぼの」。これも見方によっては晩秋らしくて、悪くないか・・・。いっそのこと雨足が強いときに来てくれた方がいい絵になったかもしれませんね。でもそんな事を思ったからか、その後の雨は強さを増してしまいました。もうひとつの狙いである「ブルトレ団臨」の通過は12時半頃で、あと三時間もあります。晴れていれば周辺を散策しつつ、特急「つがる」などを撮って時間を潰そうと思っていましたが、冷たい雨の中で待ち続けるのはかなりツライ・・・。他の二人も「あけぼの」撮影後は引き上げてしまいました。たとえ貴重な「ブルトレ団臨」でもこの天気ではテンションが上がらず、しばらく悩んだ末に私も撤収を決意。この日は日曜日なので翌日に疲れを残さないためにも、ここは予定よりも少し早く帰京する事にしました。
帰りは撮影地近くの停留所からバスを利用します。
撮影地はこの平岡大橋と次の白旗野の間にありますが、
バスの本数は近くに車庫がある平岡大橋の方が多い。
このバスで直接、新青森・青森駅へと出る事ができます。
12.10.28 青森市営バス 平岡大橋
平岡大橋1007-(青森市営バス)-新青森駅南口1016
新青森から東京へ向かう東北新幹線の「はやて」・「はやぶさ」は自由席が無い全車指定席の列車なので、新青森の窓口で指定券の変更をお願いします。候補は10分後の「はやて22号」か、一時間半後の「はやて24号」。さすがに10分では慌ただしいし、お土産も買いたい。そこでちょっと時間はあるけれど11時24分の「はやて24号」を選択。テキトーに時間を潰してからホームへ上がると、ちょうど列車の入線を知らせるアナウンスが流れていました。そこへ滑り込んで来たのは・・・お、E5系!
新青森のホームへ入って来た「はやて24号」はE5系。
12.10.28 東北新幹線 新青森
「はやぶさ」の愛称で有名なE5系。最近は車両の増備によって一部の「はやて」などにも使われるようになったのは知っていましたが、この「はやて24号」が該当列車だったとは・・・てっきりE2系だとばかり思っていた私は、ちょっとビックリです(自分の乗る車両を調べないとは、テツ失格 ^^;)。実はE5系に乗るのはコレが初めて。最初にE5系へ乗る時は最上級の「グランクラス」に・・・と決め込んでいて、あえて今まで「はやぶさ」には乗ろうとしなかったのですが、まさかこんな形でE5系の初乗車になるとは思いませんでした。それだけE5系の勢力が増して、使用列車も増えたと言う事なのでしょうけれど・・・。もちろん今回の私が持っている指定券は「グランクラス」ではなく普通車です。
発車前にはE5系同士の並びも見られました。
もうE5系も珍しい存在ではなくなったのね・・・。
左が私の乗る「はやて24号」で、
右は到着したばかりの「はやぶさ1号」。
12.10.28 東北新幹線 新青森
行きに乗ったE2系に比べて、シートピッチの広いE5系は普通車でもやはり快適。車内も仙台までは適度に空いていて、車窓を眺めながらゆったりと過ごす事ができました(仙台からはほぼ満席に)。次こそはセレブな「グランクラス」に乗りたいものです(笑)。
E5系「はやて」のなかで食べるのは、
新青森で買った「とろサーモン炙り寿司(¥950)」。
脂ののったサーモンのお寿司は日本酒との相性抜群!
・・・ですが、量的にちょっと物足りなかったかな。
☆☆☆・・
銘酒「あおもり」の小ビンは
プラッチックのお猪口を貰い忘れてしまい、
直接ラッパ飲みでいただきました。。。(^^;)
・・・とまあ、最後は冴えない天気での撮影となってしまいましたが、これで秋の青森旅行記は終了です。当初はいつものようにブルートレイン「あけぼの」などを撮影のメインに考えていたのですが、いつの間にか青森のローカル私鉄巡りになってしまいました。そもそも最初の計画段階で組み込まれていたのは南部縦貫の撮影会のみ。しかし「ONE-shot」の#100を迎えて急遽組み込んだ津軽鉄道、そしてその場の判断で予定を変更して撮影した弘南鉄道・大鰐線、結果的にはこの両線の訪問がいちばん印象に残った旅となりました。その最大の理由はなんといっても地元の方の温かい親切、真心に触れられたこと。津軽鉄道で話しかけてくれたアテンダントさん、そして大鰐線沿線のリンゴ畑で働くお婆さん、おじさん、本当にいい想い出をありがとうございました。またいつか、のんびりと訪れたくなる津軽路でした。
新青森1142-(はやて24号)-東京1508